無謀な挑戦?! ノリックジュニア、世界挑戦へ | ULTRA RIDER

2023年からのWSSP600挑戦が決まった阿部真生騎 前例のない海外挑戦のパターンになる

無謀な挑戦だ、と誰もが言う。

阿部真生騎(=マイキ)が、2023年シーズンから世界スーパースポーツ選手権(=WSSP600)に挑戦することについてだ。
阿部真生騎は、すでに知られている通り、NORICKこと故・阿部典史の忘れ形見。NORICKは真生騎が3歳の時、不慮の事故で亡くなってしまった。

今では幼稚園の頃からポケバイをスタートする、なんてキッズライダーが多いけれど、真生騎は13歳で初めてバイクに乗った、いわば遅咲きライダー。ダートでの初乗りからバイクの楽しさを知り、出られるレースにはどんどん出場。ミニバイクで転倒、バイクから振り落とされて鎖骨を折ったこともあったけれど、それからはどんどんバイクにのめり込んだ。

「はじめはダートばっかり走っていましたけど、いずれプロになる、それはロードレースだ、って思ってました。走っていた姿は知らないけど、お父さんもロードレースだったから」(阿部真生騎)

まだオトナと話すのに慣れてなくて、と笑う真生騎 笑った顔がますます父親に似てきた

14歳になる頃には本格的にロードレースデビューを果たし、筑波選手権、スーパーモト選手権、もてぎロードレース、SUGO選手権と走りまくった。記録に残っている初優勝は15歳での東日本スーパーモト選手権。16歳になってからは、ST600クラスにステップアップ、筑波で、もてぎで、菅生で優勝を果たしている。
「勝てる」ライダーになった真生騎は、21年には全日本ロードレースにスポット参戦。バイクに乗り始めてわずか4年目のことだ。
初めての日本最高峰のレースは、もてぎ大会で13位に入ったが、鈴鹿大会ではチームが設定したタイムに届かず、残り2戦の参戦を取りやめ。
この厳しい判断を下したチーム監督は阿部光雄。NORICKの父であり、真生騎の祖父だ。

「まだ全日本のレベルで走れていない。地方選から鍛え直さないと」と、当時の阿部光雄監督は語っている。
それでも、真生騎は地方選手権では、筑波で、もてぎで、菅生で、鈴鹿で勝ちまくった。

故・典史の父、そして真生騎の祖父である阿部光雄さん ヤマハのユース育成も手掛ける

そして22年には全日本ロードレースにフル参戦。チームはもちろん、チームNORICKヤマハ。世界最大級のバイク用品通販サイト「Webike」(=ウェビック)の支援を受けて、もう10年を超える。チームNORICKジュニアと呼ばれている頃から、ずっとクシタニのレザースーツを着用している。

しかし、22年のシリーズランキングに「阿部真生騎」の名前はない。
開幕戦もてぎ大会は決勝:17位、第2戦鈴鹿大会ではJSB1000クラスに出場して、レース1:リタイヤ/レース2:25位、第3戦オートポリス大会でもJSB1000クラスでレース1:19位/レース2:22位、第6戦のオートポリス大会へはST600クラスに出場して決勝で転倒リタイヤ、第7戦岡山大会ではST600クラスで決勝:19位――つまり、ポイントを獲得することが出来なかったのだ。

「22年は、きちんと戦えるバイクに仕上げられなかったというか、走りとセッティングがうまくかみ合わずに終わってしまいました。転ぶことも多かったし、マシントラブルもあって、ぜんぜん自分の走りが出来なかった」(真生騎)

前代未聞、全日本ロードレースではポイントを獲得できないまま世界進出となる真生騎

ポイント圏外のレースが続くなか、真生騎はST600クラスをメインに、JSB1000クラスも走ったし、地方選にも精力的に参戦し、もてぎロードレース、SUGO選手権、鈴鹿サンデーを走り、スポーツランドSUGOで行なわれたアジア選手権にも、鈴鹿8耐にも出場した。鈴鹿8耐では伊達悠太、菅原陸とチームを組み、SSTクラスに参戦。レース中には一時クラストップを走るが、レース終了間際に他チームのマシンに接触され、順位を大きく落とすものの、SSTクラス5位でフィニッシュした。

そんな「目立った成績を残せなかった」(真生騎)ライダーが、世界選手権へのチャレンジを開始する。これはヤマハのヤングライダー育成プログラムの一環で、22年に真生騎が、バレンティーノ・ロッシが主宰する「VR46マスターキャンプ」に参加したことがきっかけだった。
「やっぱり少しひいき目に見てしまうけど、真生騎はダートでのスピードがスゴいんです。とても走り始めて数年のライダーとは思えない。ノリ(=NORICK)もそうだったけど、僕はロードレースでもダートの速さは必要だと思っているし、世界のライダーはいつもダートで、ロードコースで、走りまくっています。そこに追いつくにはアジア、日本のライダーもみんな、もっともっと走らないと。ダートトラックも、モトクロスも、ミニバイクでもモタードでも走るし、自転車もランニングもウェイトトレーニングもやる。そうじゃなきゃ世界に通用しない。真生騎もそういう環境の中に放り込みたい」(阿部光雄監督)

VRマスターキャンプでのひとこま トレーニング量ではだれにも負けない、負けたくない ※写真提供=ヤマハ発動機

そんな真生騎にWSSP600参戦のチャンスがある、と知らされたのは、22年シーズンの終盤。

「監督は、いつも話を急に持ってくるんですけど(笑)、22年の秋ごろだと思うんですが、練習に行った帰りのクルマで、ヨーロッパに行く気はあるか?って。あ、またヨーロッパにトレーニングに行けるんだと思って、もちろん行きたい、って答えたんです。それが、23年のWSSP600参戦だった」

それから、22年のシーズンが終わると、光雄監督はすぐに真生騎をスペインに連れて行き、現地のクリスマス休暇にも無理を言って走る機会を作り、年明けにも3日と置かず走りまくった。

「ミニバイクも走ったし、ダートも、モタードも、600も。コースの裏に山道があるんですが、そこも自転車で、ランニングで走りましたね。一緒に合宿というか、イタリアやスペインの同世代くらいのライダーも来てるんですが、もうスゴいんです。アタマのネジが飛んでるというか、え?ここでなんでそんなに張り合うの?ってくらい、ただの練習からガツガツ来る。そうじゃなきゃ戦えない世界なんだな、って実感しました」(真生騎)

VRマスターキャンプでは主宰のバレンティーノ・ロッシとも対面 ロッシが真生騎の父、NORICKの大ファンだったのは有名な話だ ※写真提供=ヤマハ発動機

今シーズンはイタリアVFTレーシングYAMAHAに所属。真生騎が出場するWSSP600はすでに開幕したが、開幕戦オーストラリアと第2戦インドネシアまではルーキーが出場できないため、真生騎のデビューは第3戦アッセンとなる。開幕戦では真生騎のチームメイトであるニコラス・スピネッリが、ウェットレースから赤旗中断、ドライへレースへの仕切り直しで2位表彰台に上がってみせた!

「ニコラスも速いです。でもトレーニングで一緒に走った時、チームがきちんとデータ比較をしてくれて、あと数m奥まで突っ込め、あとこれくらい早くスロットルを開けろ、ってメニューをくれて、どんどんタイムは上がっていったんです。3日かな、走り込んで、タイムはずっと上がりっぱなしで下がることはありませんでした」

WSSP600ではヤマハYZF-R6を駆る真生騎 23年はこのカラーリングのマシンに注目

デビューレースは、おそらく事前テストなしのぶっつけ本番になる。レースウィークから走り始める、世界きっての難コース、アッセンの攻略は大丈夫だろうか。
「アッセンはもちろん初めて。ゲームでコースを覚える、って言う人が良くいるんですが、ゲームがうまくできなくてイライラしちゃうからやらないんですよ(笑)。過去の映像なんかも見るほうじゃないけど、コース覚えるのは早い方だから、なんとかなるんじゃないかな、って。ハハハ。今はすごくワクワクしてます。心配なんかひとつもない。なんかイケるような気がするんです。だからシーズンの最初の方は、まず転ばずに完走、ってハードルを低くしといて、目標は徐々にトップ10、入賞、表彰台、そして勝ちたい」

全日本でポイントも獲っていないライダーが、世界選手権でトップ10、入賞、表彰台なんかに上がったら、それだけでもう大事件だ。WSSP600は、きっと真生騎が考えるほど甘くないし、真生騎の自信が砕け散る可能性だってある。それでも、真生騎の走りに期待をしてしまうのは、やはりオールドファンがNORICKの鮮烈デビューを知っているからなのかもしれない。

「お父さんのことは何も覚えていないし、意識することもないです。ヨーロッパに行くと『お前がノリックのジュニアか』って言ってくる人はいるけど、そう気にしないですね。何度も言われて嫌じゃないか、って言われることもあるけど、そういう人も、お父さんを通してオレを見て、応援してくれたらいいじゃないすか。もちろんMotoGPを走りたいから、WSSP600がチョーうまく行ったら、2年くらいでMoto2に上がって、そこからMotoGPに上がれたらいいな、って」

年々、NORICKに顔つきが似てきた真生騎。ハハハ、って屈託ない、乾いた笑い方もそっくりだ。

大物なのか、怖いもの知らずなのか、世界挑戦になにも心配はない、という真生騎

初めての世界挑戦、厳しい環境に置かれる23年シーズン、きっと真生騎はうまくいかないことの方が多いのだろうと思う。それでもレーシングライダーとして、人間として、成長できる年になる。世界の舞台で戦ってみたかった、という真生騎の夢がまず、実現する。

真生騎が生まれた2004年、MotoGP取材に出かけていた筆者は、NORICKと話したことがある。あれはドイツだったか、レース前のオープンカーによるパレードが終わってすぐ、サクセンリンクのパドックだったように覚えている。

――ノリ、赤ちゃん生まれたって! おめでとう! 名前決めたの?
「マイキにしたんです! 外人が呼びやすい名前にしたくてさ。マイケル・ジョーダンとか、世界で活躍するスポーツ選手になって、外国で呼びやすいようにね! マイケルなら発音するとマイコーでしょ? そこをマイキー、って呼ばれるようにね」

真生騎の夢はもちろん、NORICKの夢もまた、叶おうとしている。
ノリ、マイキが頑張ってるぞ! そっちで見守ってやってなー!

最新情報をチェックしよう!