静かなる闘志、復活への道 ~小椋 藍 22年日本グランプリ以来の表彰台登壇


ウィーク初日から予兆はあった。金曜のフリープラクティス(=FP)1から5番手、FP2が4番手、FP3でトップタイムをマークすると、計時予選でも3番手。22年のマレーシアグランプリでポールポジションを獲って以来の、実に245日ぶりのフロントローだ。
小椋 藍は22年シーズン、最後の最後までチャンピオン争いを繰り広げ、ランキング2位を獲得。好調を維持していたシーズン中盤に、MotoGP昇格を打診されるも「まだやり残したことがある」とMoto2残留を決意。そのやり残したこととは、もちろんMoto2ワールドチャンピオンのことだった。
しかし小椋は、シーズンオフのトレーニングで、左手首を骨折してしまう。シーズンオフの、小椋のトレーニング熱心さはよく知られているが、日本滞在中にモトクロスにモタード、ミニバイクと走りに走り、開幕テストを控えてスペインに帰った後に、モトクロストレーニングで転倒し、負傷してしまったのだった。

シーズンイン直前のケガから徐々に復帰してきた小椋

 

負傷が癒えず、開幕戦ポルトガルGPを欠場。アルゼンチンGPには計時予選1までは出走するものの、ウェットコンディションとなり、計時予選と決勝レースは大事を取って欠場。続くアメリカズGPで復帰してからは、アメリカズGPが予選17番手からの決勝15位、スペインGPで予選5番手につけるも、決勝は転倒リタイヤ、以下フランスGPで予選16番手、決勝9位、イタリアGPで14番手/15位、ドイツGPで20番手/14位と、7戦を終わっての獲得ポイントはわずか11ポイント。オランダGPを終われば丸1カ月以上のサマーブレイクがあるため、小椋の復活は8月のイギリスGPからではないか、と誰もが思っていただろう。
小椋の低迷は、ケガだけが理由ではなかったかもしれない。チャンピオン争いをしていた22年から、23年モデルとなったカレックス製シャーシ。普段から、バイクに乗って乗って、さらに乗り込んでマシンを体で理解する小椋だけに、ケガはもちろん、ケガによってシーズン前に23年モデルに乗る時間を取れなかったのが痛かった。

少し小椋が上向いてきた、と思ったのは、9位フィニッシュを果たしたフランスGP。順位はともかく、赤旗中断で2レース制となった決勝で、アルデグラ、ガルシアらとポジション争いを繰り広げた。23年シーズンに入って、久々のレースらしいレースだったのではないか。
「まだマシンは仕上がりませんけど、方向性は見えてきた。一歩前進できました」と小椋はレース後に語っている。

そして迎えた、シーズン前半戦のラストとなる、イタリア→ドイツ→オランダの3週連続レース。連戦で体力的にはハードだが、今の小椋日にとっては短い期間でたっぷり乗り込めるチャンスでもあった。
事実小椋は、イタリアで「1周だけに効くセットアップは見つかった」と言い、ドイツでは「フィーリングは改善してきた。トップグループにはまだ少し足りないが、先週末のイタリアからは前進できて、少し楽観的に捉えています」と話している。

オランダGP レース終盤、ジェイク・ディクソンをリードする小椋

その小椋が、3連戦のラストのドイツGPで、はっきりとレースウィークの金曜、土曜から復活の兆しを見せたのだ。
決勝レースでも、スタートよく2番手で1コーナーに飛び込むと、序盤からアロンソ・ロペスに続く2番手で周回。序盤からスパートしたロペスの背後から離れることなく、トップとの差は0秒6、0秒4、0秒2、0秒0と追い詰める。本当に周回ごとにじわじわと、その差を詰めていった。

ウィニングラン、TTサーキットアッセンの歓声に応える小椋 このあと何度か「抜けなかったかー」という感じに首をひねってみせた

レース中盤、小椋の背後から追い上げを見せるディクソンの先行を許すが、そのままディクソンの背後について3番手。ロペス、ディクソン、小椋、というオーダーで追い上げて行けばロペスに届く、と考えたのか、その後にアコスタの先行を許した時には、小椋はすぐに逆転している。トップグループを4台にしてしまうと、終盤のポジション争いが難しくなる――レース後半に向かって、このままずるずると後退しないところに、小椋の進化が見えた。
ディクソンがロペスをかわしてトップに立つと、そこを逃がすまいと小椋はロペスをパス。アッセンのシケインという難区間で、小椋には珍しく強引にいったパッシングシーンだった。
ラスト7周、ディクソンがヘアピンで一瞬ラインを外し、小椋が単独トップへ。アコスタもシケインでミスし、小椋は2番手以下を引き離しにかかる。ついに復活優勝か!と思われたものの、キャリア初優勝を目指すディクソンも離れず、小椋に再接近。ここで引き離せなかったのが痛かった。
小椋は、ラスト2周のタイミングで、ギリギリのパッシングを仕掛けてくるディクソンに、あわや接触、というところまで迫られ、一瞬だけ失速してしまって勝負あり。小椋の2位フィニッシュは、22年秋にモビリティリゾートもてぎを熱狂させた母国優勝に続く、11戦272日ぶりの表彰台登壇だった。

「複雑な心境ですね。優勝が目の前にあったけど、表彰台に戻ってこられた。開幕前にけがをして、やっと表彰台に戻れたのはすごくうれしいです。今日は(優勝した)ジェイクが本当に速かったなー」

フィニッシュ後のクールダウンラップで、初優勝に歓喜のディクションとマシンに走り寄って祝福すると、ピットに帰るまでの一瞬は「勝てなかったなー」と言わんばかりのアクションを見せた小椋。
もう大丈夫。また小椋は、サマーブレイクで走りに走り込んで、夏休み明けの後半戦で、22年のように優勝争いを繰り広げるだろう。ただし藍、夏休みの走り込みでケガしないようになー!

※写真提供 Honda/IDEMITSU HONDA TEAM ASIA

 

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