世界を知る男の新しい役割 ~全日本J-GP3 V2チャンピオン 尾野弘樹

ここまでの獲得ポイントは115P。最終戦を前にランキングトップにいる尾野弘樹を追うのは、97Pの上原大輝。最終戦MFJグランプリを残して、2022年のJ-GP3クラスチャンピオンの可能性があるのは、このふたりだけだった。

「18ポイント差なので、上原君が勝っても、僕は9位に入ればチャンピオン確定、ってまわりはみんな安心していただろうけど、それがかえってキツかった。21年の方がよっぽどシンプルに、燃えて『勝つしかない』ってレースで、気持ち的には楽でした」というのは、2021-22年のJ-GP3クラスチャンピオン尾野弘樹だ。

21年のチャンピオン争いでは、最終戦を前に、ランキングトップは130Pで小室旭。12P差で追うランキング2位の尾野は、最終戦で優勝して、なおかつ小室が4位以下になるしかチャンピオン獲得の可能性がなかった。つまり、他力本願の最終戦だったのだ。
しかし、そのレースで尾野が躍動した。ポールポジションからスタートすると、ホールショットを決め、序盤から2番手以下を引き離して独走。レース中、単独で3番手を走っていた小室だったが、レースが中盤から終盤になると、4位集団に飲み込まれ、細谷翼、徳留真紀、木内尚汰とのバトルで4位、5位とポジションを落としていく。

尾野が前に出ると、すぐに#7木内、#26上原も後ろにつける 後方の#11が若松。22年に表彰台に立った4人のうちのひとりだ

結果、小室が3位と0秒008差の4位に終わったことで、獲得ポイントは小室143P、尾野も143P。同ポイントの場合は、優勝回数が多い方が上位という規定に従って、7戦4勝の尾野が、3勝の小室を最終戦で逆転してチャンピオンを獲得したのだ。
優勝した尾野は、小室が2位~3位でゴールしたと思い込み、ウィニングランでの喜びも控えめ。しかし、コース途中でチャンピオンフラッグを渡されて、そこでやっとチャンピオン獲得を知ったのだという。

「この年は、僕の全日本の復帰シーズン。5年ぶりの小排気量クラスだったので、不安なシーズンインで、勝てて本当に良かった。その前の年は、ST1000クラスに参戦するつもりが、チームの体制縮小でとりやめになって、村瀬健琉くんのアドバイザーをしていましたから」

尾野は2007年、15歳で全日本ロードレースにデビュー。まだ小排気量クラスが2ストローク125ccのマシンで行なわれていた時代に、16~17歳では2年連続でGP125クラスのユースカップのチャンピオンとなり、2009年シーズンオフと翌2010年にはスペイン選手権に参戦。2011年、19歳で世界グランプリGP125クラスに参戦を果たす。
しかしその11年シーズン、所属していたチームが資金ショートに陥り、持参金のあるライダーにシートを奪われてGP参戦をシーズン途中で断念。失意の帰国となったが、12年から参戦したアジア選手権のワンメイクレース「CBR250Rドリームカップ」で13年にチャンピオンを獲得し、再び世界へ。14年にスペイン選手権へ、4ストローク「Moto3」クラスに参戦し、ランキング3位を獲得する。

「アジア選手権に参戦したのは、勝てばそこから世界GPへのルートが用意されていたから」と当時語っていた尾野だったが、スペイン選手権を経て自力でつかんだ世界グランプリへの再挑戦は、15~16年にMoto3に参戦するも、思うような成績を残すことはできなかった。

17年には再びスペイン選手権へ。今度は600ccマシンで行なわれるMoto2クラスに参戦するが、そこでも思うような成績を残すことができず、日本に帰国。18-19年に出場した全日本ロードレースJ-GP2クラスでも、ランキング12位-17位と結果を残せなかった。
20年は前述のとおり、新設されたST1000クラスに出場予定だったが、これもチームの事情で参戦が叶わず、ST1000マシンのテストをしながら、村瀬のアドバイザーに就任。そこで村瀬がチャンピオンとなったことも、尾野がJ-GP3クラスに復帰するモチベーションのひとつになったのだろう。
明けて21年。シーズン前のテストから好タイムを連発した尾野は、開幕戦から小室とチャンピオン争いを繰り広げ、自身初の全日本シリーズチャンピオンとなったのだ。

そして2022年。前年にチャンピオン争いをした小室が引退したことで、尾野は全日本ロードレースで新たな役割を担うことになる。それは「若手の壁」だ。
開幕戦もてぎ大会では、木内が優勝、2位に尾野、3位に上原。第2戦・菅生大会では、尾野が優勝、上原が2位、3位に若松怜。結果的にこの、尾野、上原、木内、若松だけしか22年シーズンのJ-GP3クラスの表彰台に立たなかった。21年を最後に現役引退した小室が45歳、尾野は22年に30歳になり、上原は25歳、木内は19歳、若松に至ってはなんと16歳だ。

「21年には小室さんとチャンピオン争いをして、今年は僕が木内君、上原君という若いふたりに引っ張られた感がありましたね。彼らと走って、僕もレベルアップしたし、彼らも僕が遅かったら伸びない。お互いにレベルを高められたんじゃないかな、と思います」

筑波大会でもこの3人がトップ争い このレースでは上原→尾野→木内の順でフィニッシュ

実は尾野は、Moto3世界選手権に出場している頃に、若手育成のためのクラブチーム「TeamHIRO」をスタートさせている。ポケバイやミニバイク、地方選手権やMiniGPに出場するジュニアたちを見てアドバイスして、一緒に走って、育てながら、自分もレベルアップしているのだという。鈴鹿サーキットで行なわれたミニバイクレース「Mini-Moto4時間耐久」には、22年大会にHRCゲストチームとして賞典外参戦し、予選ではポールポジション、決勝レースではコースレコードを更新して4位を獲得。ペアライダーはTeamHIROのメンバー卒業生である女性ライダー桐石瑠加で、もちろんガチの参戦というよりは、楽しく真剣に遊ぶレースとしての参戦だった。

チャンピオンを決めた最終戦、トップ争いはやはり尾野と木内、上原の3人が集団を作っていく。ポールポジションは木内、2番手に上原が続き、尾野は予選3番手。決勝日朝のウォームアップ走行では尾野がトップタイムで、上原が2番手に続く。
「やっぱりこの3人のレースになると思っていた」と尾野が語った通り、レースは尾野の好スタートで始まるものの、上原と先頭争いになり、5周目あたりで木内がトップに浮上。
しかしここで転倒車が出たことでレースは赤旗中断となり、決勝は2ヒート制へ。5周というスプリントレースとなった2ヒート目は、スタートから上原が飛び出し、尾野は上原から少し離れた位置で木内と2番手争いをすることになる。

最終戦MFJグランプリでもこの3人 尾野が仕掛け、木内が迫り、上原がスパートする展開 シーズンを通じて尾野を攻め立てた上原と木内のふたりのTeamプラスワンがチームチャンピオンシップを獲得した

「やっぱり上原君、木内君って、スピードがあるから、僕としては13周というレース距離を通じて勝負したかった。ペース配分とかタイヤのセーブとか、5周勝負では、そういう勝負のチャンスはなくなりますからね」

見ている側からすると、尾野は9位でいいんだから無理しなくても――そう考えるが、レース中の尾野も、その思いに揺れていた。

「僕だけじゃないと思うんですけど、ライダーって『このくらいのペースで✕位フィニッシュで大丈夫』って走りが苦手だと思うんです(笑)。僕もこれまで、そういう✕位でいい、っていうレースで勝負に行って失敗、ってこと何度もしてきましたから、レース中は自分のメンタルをコントロールするのが大変でした。無理しちゃいけない、レースで勝つよりもチャンピオンになるのが最優先だぞ、って。でも大好きな鈴鹿だし、若いふたりにカッコ悪い走りは見せられない。それでも、ワンミスでやられるし、もしチャンピオンを獲り逃がしたら、自分自身ぜんぜん成長してないことになっちゃいますからね」

結果、レースは上原が2番手以下を3秒ほど引き離して優勝し、尾野はレース終盤まで木内の背後につけ、ラストラップのシケインで木内を抜き去って2位フィニッシュ、2年連続のチャンピオンを決めたのだ。
冷静沈着に必要最低限の結果でチャンピオンを決めた……ように見えたけれど、尾野にしてみれば相手より先に自分のメンタルと戦って、なんとかチャンピオンを決められた、というレースだった。

「実はこのウィークはずっと緊張してたんです。それで最終戦で、僕が苦手な(笑)守りのレースでもいいとなって、どうレースを組み立てたらいいものかと。でも、いいシーズンでした。ふたりのおかげでレベルアップできたし、引っ張ったし、引っ張られた。今年はほぼ毎レース、去年よりもレースタイムがよくなってるんです。J-GP3ってクラスのレベルを上げられた気がしますね。もうベテランと呼ばれる年齢になって、J-GP3のレベルを上げていくというのは、僕がやらなきゃいけないことであり、目標でした。今日の2位は悔しいけど、2位でもOKっていう結果が残せて、成長できた証になりました。少しでも、このクラスを引っ張るライダーになれたかな」

2023年、またJ-GP3に参戦するなら、また新しい若手も出てくるし、尾野はもっと高い壁にならなければならない。ひょっとすると、TeamHIRO門下生が、尾野に挑みかかってくるかもしれない。
これが、尾野の新しい役割なのだ。

尾野弘樹 おの・ひろき 1992年7月 奈良県出身

小学生時代にモトクロスを始めてからミニバイクへ。2006年に鈴鹿近畿選手権のチャンピオンになると、07年に全日本デビュー、08~709年に17歳以下で争われるユースカップで2年連続チャンピオンとなる。その後はヨーロッパのレースに参戦を開始し、イタリア選手権、スペイン選手権に参戦し、世界グランプリGP125クラスへ。12~13年にはアジア選手権、そこから再びスペイン選手権を経て、2シーズン、世界グランプリMoto3クラスに参戦する。17年からはMoto2やJ-GP2クラスにも参戦するが、21年にJ-GP3クラスへカムバック。21-22年、2年連全日本J-GP3チャンピオンとなる。163cm/54kg

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