「10年後、箱根で」#1 アネスト岩田スカイラウンジ(ターンパイク箱根)| KUSHITANI COFFEE BREAK MEETING とバイク小説

「10年後、箱根で」

舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#1 アネスト岩田スカイラウンジ(ターンパイク箱根)4月上旬

 「こ、今月で⁉︎」

 素っ頓狂な声をあげてしまった。裏返った声が恥ずかしくなって、僕は冷静さを取り戻そうと、一旦彼女から視線を逸らした。

 東京。中央線沿いにあるバイク雑誌編集部にいた。編集部員の一人である彼女は「今月いっぱいで退社する」と言った。フリーのカメラマンで文章書きの僕は、親しい間柄ではなかったから理由を聞けなかった。

 ただ、彼女はバイク業界からも離れるようだった。

 「バイクは、まだ乗りますか?」

 帰り際に聞いた。

 「もちろん。最近もう一台増車したんです」

 予想外の返答に思わず吹き出しそうになった。ということは三台持ちになったのか。《増車》というワードも自然に出てくる。すっかりオートバイという沼にはまっている様子だ。

 

 「バイクに乗っていたら、また会えるかもしれませんね」

 僕の言葉に、彼女は笑顔を作ってデスクに向き直った。

 オートバイに乗って自宅に向かう中、急に悲しい気持ちに襲われた。彼女の退職を知って素っ頓狂な声をあげてしまった理由が、今わかった。

 

 その後、雑誌は更に売れなくなっていった。バイク雑誌も例外でなく、休刊が相次いだ。人気のあったバイク雑誌も月刊誌から隔月間誌となったり、メイン雑誌の付録、いわゆるブックインブックという形へ変更したりするケースも出てきた。

 フリーで働いていた僕も、バイク誌のみでは苦しくなって、男性誌や、旅系、ビジネス系の雑誌でも記事を書かせてもらうようになった。その後、ある中堅出版社の専属カメラマン・ライターとなり、そのうちフリーランスから会社員になった。

 気がつけば、その出版社が発行している二つの雑誌の編集長になっていた。毎月発行している旅系雑誌と、年四回発行しているバイク雑誌を兼任している。

 あのとき、バイク雑誌の編集部を退職した彼女のことはすっかり忘れていた。思い出すこともないまま十年が過ぎていた。

 明日は昼ごろから雨が降り出す予報だった。東伊豆で撮影を予定しているが、できるだろうか。延期になったら、アネスト岩田スカイラウンジで開催されるクシタニコーヒーブレイクミーティングに参加してみようか。朝七時から開催しているから、早く行けば雨の降り出す前に帰って来られるかもしれない。よほどの荒天でない限り開催すると聞いていた。

 薄暗い中、都内を出て箱根に向かっている。小田原からターンパイクに乗る頃には明るくなっていたが、空は厚い雲に覆われていた。

 晴れていれば眺めの良い景色なのだろう。山頂は雲に覆われている。しばらく走り続けていると、いつの間にか辺り一面、霧に覆われていた。

 ライディングウエアはすっかり濡れて重くなっていた。目的地に近づくにつれて風も強くなっていた。こんな天候で本当に開催しているのだろうか。

 スカイラウンジの駐車場へ入っていく。

 四月に入ったとはいえ、標高の高い場所だ。ただでさえ気温が低いのに、強い風と細かい雨粒で、体は完全に冷え切っていた。こんな辛い思いをしてバイクを走らせたのは、随分久しぶりのような気がする。五年…、いや十年振りかもしれない。

 バイクでゆっくり駐車場の奥へ進んでいく。濃い霧で遠くまで見渡せないのだが、それにしても、イベントを開催している雰囲気が、まるで感じられない。

 もう少し進むと、何かうっすらと見えてきた。テントと、いくつかのノボリ。バイクの排気音と人影。こんな天候でも開催している。

 熱々のコーヒーの入ったカップ差し出され、感謝して両手で受け取る。しばらく手先を暖めてから、ひと口すする。

 ああ、温かい…、生き返った。

 まわりにいるライダーも皆、同じように感じていることだろう。ホットコーヒーのありがたさを、いつも以上に感じていた。

 さっきまで、すぐ帰ろうと思っていたのに…、

 何だろう。

 今とてもワクワクした気持ちになっている。

 この高揚感は、一体…。

 「どちらからですか?」

 中年男性に声を掛けられた。彼は宮城県から来たのだという。

 「毎回、楽しみにしているんです」

 一年を通じて全国各地で開催されるクシタニコーヒーブレイクミーティングを目指して、同じように全国を回って参加するような常連ライダーがいる。

 周りを見渡す。女性ライダーもいる。一人と目が合うと、こちらに真っ直ぐ歩いてきた。

 「お久しぶりです」

 連載していたバイク雑誌の担当編集者だ。十年前に退職していった、あの彼女だった。

 「お元気そうで」

 「ええ、まだ乗っていますよ」

 彼女はにっこりと笑顔をつくった。

 僕たちは、アラサーと呼ばれていた歳から、アラフォーと呼ばれる歳になっていた。

 「初めてライダーの格好をしたあなたを見ました」

 僕の言葉に照れ笑いし、うつむいて少し体をよじった。

 「また会いましょう」

 彼女からの提案だった。そして、「ここで」と付け加えた。

 一年後か…。

 「本気にしていいですか? 僕、本当に来ますよ」

 「…はい」

 お互いの目を見ていた。

 「忘れないでくださいね、だいぶ先のことですから」

 僕は念を押した。

 「でも、二週間後ですから、加子母。岐阜県ですよ」

 「…へ?」

 「クシタニコーヒーブレイクミーティング。次は二週間後、中津川の、道の駅加子母です」

 彼女も全国を回る常連ライダーなのか。

 遠くから自分の名を呼ばれた彼女は、「気をつけて」と言って、向こうにいる男性の元へ小走りで駆けて行った。二人は手をつないで、駐輪場の方へ向かって歩いて行った。

 椿ラインを愛車に乗って湯河原へ下っていた。自宅のある東京へは帰らず、湯河原か熱海の温泉にでも浸かっていこうと考えていた。明日は日曜日だし、どこか適当な宿に泊まろう。天気も良さそうだから、翌朝から走り出して、伊豆半島を堪能しようか。

 恋人だろうか、それとも夫婦…。

 バイクで走りながら、ぼんやり考えていた。でも、そのことは関係無く、道の駅加子母へ行きたいと考えていた。アクセルを握る右手や両肩に、つい力が入ってしまう。           

  楽しいな、バイク。

 

長いこと乗っていて、今更だけどさ。

 愛車のタンクを、両膝できゅっと抱きしめた。

 やっぱりいいよな、バイク。

 霧雨に濡れた湯河原の温泉街を、味わうように流していた。

おわり

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