順風満帆ではなかったです でも 僕は夢だったプロになった

バイクに乗らない人にライダーがどう見えているかを意識してます

カッコいいって思ってもらいたくて

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中野 真矢

元MotoGPレーサー/56 design代表

5歳でポケットバイクを始め、1994年にSP忠男レーシングチーム入り。98年には全日本ロードレース選手権250ccクラスを制し、99年より世界グランプリにフル参戦を果たす。2009年に現役引退。現在はバイク向けアパレルブランド「56design」の代表を務めるほか、レーシングチーム、56RACINGの監督としても活動。また、バイク専門番組「MOTORISE」(BS11)を始めとするバイク関連メディアにおいても広く活躍中。

5歳でポケバイに乗リ始めたんですけど、レースの世界で戦い続けるのは簡単ではなかったです。最初は家族で始めたものが、ポケバイからステップアップしていくうちにだんだん規模が大きくなり、家族だけではできない状況になって。16歳でチームに入ってからはウェアやギアなどのメーカーさんから提供していただけるようになったんですけど、とにかくいろんな方に支えてもらって活動できてたんですよね。プロになるまでは本当に大変で、順風満帆ではなかったです。父は普通のサラリーマンだったので、もう経済的に無理かもしれないと言われたこともありました。そういった環境のなかで僕は夢だったプロになって、11年も海外を走れたんです。

ずっとレースを生活の一部として生きてきたので、2008年から56デザインを経営していたものの、翌年に引退したときは、まさに心にポッカリ穴が空いた感じがしました。そこから3年くらい海外でライダーのコーチ業を経験をさせてもらったんですけど、そのなかでもっと日本のバイクを盛り上げて、モータースポーツをメジャーにしたいと思い始めたんです。僕がレースを始めたころは、バイクのイメージがそんなに良くなかったので、レースしてるってこと自体、周りに言ったことはありませんでした。高校は地元の学校に行ったんですけど、当時は3ナイ運動の真っ只中。なので、バイクの免許が必要なレース活動を学校に内緒でやるかどうか悩んで、けっきょく先生に相談して教育委員会にまで話がいったんですけど、たまたま担任の先生がバイクやクルマが好きだったので掛け合ってくれたのと、父が、バイクは息子が職業にしたいものなので、それができなくなるのは困る。スポーツとして認めてほしいと言ってくれたことで、特例で認めてもらえたんです。そんな経験や、国内チームの監督に自分の力を伸ばしてもらったし、海外ではチーム監督に良くしてもらったし、自分のなかで、これまでいろんな人から受けた恩を今度は僕が返す番かなと思ったんです。そんなとき、ちょうどいまも続いてるバイクのテレビ番組のお話をいただいたりして、心の穴を埋めるやりがいを少しずつ見つけることができるようになって。それでもやっぱりしばらくは気持ちの整理がつかなかったんですけど、同時期に「CBR250R ドリームカップ」という若い子がチャンスを掴めるようなレースがスタートしたんです。そこで頑張れば、世界へと繋がる道ができた。これはいい、自分でも手助けできると思ってチームを作り、若い選手を起用して参戦を決めたんです。

クシタニとの付き合いはそこからですね。レースしてれば必ず目にする存在ですから、子供のころから意識はしてました。それで、同い年で知り合いだったクシタニの社長に相談しに行ったのがはじまりです。選手たちは提供してもらったレーシングスーツを着て走るんですけど、若くて経験が浅いのでよく転ぶんですよ。チームの方針としても、ミスしていいから若者らしい走りをして経験を重ねてほしいと思っているので。転ぶたびに傷んだスーツを修理してもらうんですが、クシタニはただ直してくれるだけでなく、エアバッグが導入されれば、この小さなサイズのスーツにどうやってエアバッグを内蔵すればいいかとか、そういう問題を一緒に考えてくれてたんです。そのうち互いに信頼感が増し、あるときクシタニから、バイクウェアを一緒に作りませんか、というお話をいただきました。僕は56デザインをやっていて同じライダースアパレルブランド同士なので驚いたのですが、スタッフとも話をし、我々がデザインし、経験豊富なクシタニがウェアを制作することで、業界に新しい話題を作れるのではないかと考えました。こうしてコラボする以上、うちのデザイナーはクシタニがやらない色使いを心がけるべきだと言ってます。僕を含め、ライダーって黒いウェアを着がちだと思うんですけど、この黒づくめの格好は、バイクに乗らない人たちからどう見えてるのかな、という逆の立場からの見え方は常に意識してます。それも、バイク乗りはカッコいいと思ってもらいたいためなんです。

レースに関してはとにかく若い人にチャンスを掴んでほしいという思いでマシンを無償提供しています。でも、これって僕たちは本業をがんばらないと継続できないし、同じようにこういった活動を応援してくれてるクシタニのような企業の支援を元に成り立っています。できる限り続けたい一方で、僕らにできることは限られているので、少しでも若い選手にとっての道しるべになれればいいと考えてます。幸い、チームを卒業した子たちの中にはヨーロッパで活躍する子も出てきているので、彼らの存在がこれからの子たちの励みになればいいのかなと思います。ただ、やっぱり僕がレースをしていたこともあって、56レーシングには負けたくない!という他チームからの当たりは結構激しいんですよ(笑)。そうやってライバル視されることも、チームやライダーにとっては良い刺激になるので、このまま続けられるといいなと思ってるんです。この活動は僕に高いモチベーションをもたらしてくれてて、モヤモヤしてた3年という時間を取り戻してくれました。

僕はアパレルの勉強をした経験があるわけではありません。でも現役時代、レーシングスーツやグローブ、ブーツにはミリ単位のこだわりを持って開発に携わってきました。この経験は56デザインでの物作りに生きています。ブランド設立当時は、我々のやりたいコンセプトをどうやって伝えるべきか悩んだこともありますが、15周年を迎えてようやく「LIFE WITH MOTORCYCLE」というコンセプトを理解していただけるようになりました。将来的にはバイクにまつわる衣食住をやりたくて、衣はライディングウェア、食はこのレイクサイドテラスのレストラン、そして住の分野―ガレージハウスなどのプロデュースに挑戦してみたいんです。もちろん夢ですけどね。クシタニもカフェを展開したり、新たにオフロードコースを作ったりと、さまざまな形でバイク業界に貢献されています。そういうところを見習い、ライダーがワクワクする面白いニュースを世の中に提供していけたらいいなって考えてるんです。

 

Photography / Takayanagi Ken

Text & Edit / Higoshi Shota (Moto NAVI)

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