若手ライダーの高い壁でありたい|EWCの高橋裕紀が見据えるロードレース

きちんとした記録が残っているわけではないが、高橋裕紀ほど国内、海外問わず、多くのカテゴリーに参戦しているライダーは、日本のレーシングライダーの歴史上いない。

デビューは2000年、全日本選手権GP125クラス。そこからGP250にステップアップし、世界GPデビュー。鈴鹿8耐にも出場したし、世界GPではGP250からMotoGP、Moto2を経験し、日本に戻ってからJ-GP2、JSB1000、ST1000に、アジア選手権ではSS600に参戦。さらにWSBKにスポット参戦の経験を持ち、21年にはEWC世界耐久選手権にフル参戦した。日本では3クラスで4回、アジアで1クラス、チャンピオンを獲得している。
高橋のレースデビューは小学2年生、ポケバイレースから。ミニバイクにステップアップし、16歳で全日本選手権にデビュー。20歳での初タイトルはGP250クラスだった。

「その頃は、とにかく上手く走りたい、速く走りたい、って考えるだけのライダーで、先の目標というより、まわりのみんなについていく、負けない、ってことだけを考えていました。将来のことに目が行くようになったのは、250に上がった年でした」
GP125ではデビューイヤーに初優勝、2年目には8戦4勝をあげてランキング2位を獲得。そしてこの年、ツインリンクもてぎで行なわれた世界GPにワイルドカードで参戦する。
「125の時のパシフィックGPは、僕が世界GPに出ていいのかな、とにかく周遅れにならないように、っていっぱいいっぱいでした。けれど、その翌年のGPは大きく気持ちが違いました」
GP250クラスの1年目。再びワイルドカード参戦したパシフィックGPでは、予選でフロントローを獲得し、序盤からトップグループを走行。トニ・エリアス、マルコ・メランドリという世界のトップライダーに続いての3位入賞を果たしてみせた。青山博一、中須賀克行、青木治親、横江竜司という日本の先輩ライダーがトップ10にも入れなかったレースでの3位表彰台だった。
「もちろん、子どもの頃から世界のレースは知っていましたけど、それは『出たい』じゃなくて『カッコいいなぁ』ってレベル。ぜんぜん現実的じゃなかったのが、250に乗り始めて、あのパシフィックGPで急に視野に入ってきた感じでした」
翌04年には全日本選手権GP250のチャンピオンを獲得。6戦4勝、表彰台を外したレースは1回だけという圧倒的な成績が認められ、スカラシップで世界GPへの挑戦権を獲得。世界GPでは9年間にわたってGP250、MotoGP、Moto2クラスを走り、14年には日本に活動の場所を移す。この時、高橋30歳だ。
「海外のレースにひと区切りをつけて、本当はそこで引退しようとも思ったんですが、J-GP2のタイトルを2年連続で獲って、アジア選手権でもチャンピオンになれた。だから、世界トップレベルからは退きましたが、僕を乗り越えるくらいじゃないと世界じゃ戦えないんだぞ、ってメッセージを持って走るようになりましたね。若いライダーたち、世界に出ることはできても、僕を越えて行かないと、世界で通用する走りなんかまだまだ!って」

EWC世界耐久とのダブルエントリーで、日本のレースに出場する機会が不明瞭なままの21年。ST1000チャンピオンとして出場した開幕戦で、高橋がすさまじい執念を見せた。朝のフリー走行を終えてエンジントラブルが発生したため、決勝レースまでにエンジン載せ替えを申請した高橋は、ルールどおりピットレーンからの最後尾スタート。しかもレース前にひと雨が来て、路面はハーフウェットから乾いていく難しいコンディション。気温は低く、乾くそぶりを見せない、まだ濡れた個所だらけのコース。出場ライダーの2/3ほどがウェットタイヤで出走した決勝レースで、高橋はスリックタイヤで勝負に出た。

 序盤は路面のウェットパッチを避けつつ慎重に走行するも、路面が乾き始めたとみるや異次元の追い上げを開始。上位を走るウェットタイヤ勢よりも5秒も6秒も速いタイムで周回を重ね、他のスリックタイヤ勢すら全員かわしてトップに立ち、そのままペースを緩めることなくフィニッシュ! 最後尾スタートで全35台を抜き去っての独走優勝は、始まって2年目という若いST1000というクラスで、高橋が最強ライダーだということを証明した。

「チャンピオンを決めた20年の最終戦も、ジャンプスタートを取られてライドスルーペナルティ、最後尾追い上げでした。あれも、何位まで追い上げればチャンピオン確定なのかわからずに無我夢中で走ってのチャンピオンでした。ああいうとき『僕に負けるなよ!』って若いライダーに言っているような気がします」

 2000年にデビューしたあどけない表情の少年は、22年に38歳になる。21年には、チャンピオンこそ獲り逃がしてしまったが、世界耐久でも初優勝し、さらに経験という武器を身につけた高橋は、今でも毎朝のようにNSF100で朝練を欠かさない。22年にはST1000に帰ってくる――まだまだ若手の高い壁になる。

文 Hirofumi NAKAMURA

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