岡谷雄太が目指すもうひとつの「日本人初」

世界スーパーバイク選手権、通称WSBKに世界スーパースポーツ(WSSP600)とともに、WSSP300というレースが併催されている。ワールドスーパースポーツ300、日本でいうMFJカップJP250、アジア選手権でいうAP250の300cc版。つまり、市販のミドルクラススポーツバイク、ヤマハYZF-R3やKTM390DUKE、カワサキNinja400で争われる世界選手権だ。

ここに、日本人選手として唯一参戦しているのが岡谷雄太。2019年に、日本人で初めてこのカテゴリーに挑戦したライダーだ。
「バイクに乗り始めたのは7歳、ポケバイでした。9歳でミニバイクに上がって、12歳でNSFトロフィージュニアのチャンピオン、次の年には全国大会、NSFグランドチャンピオンシップでも勝つことができました。その後、本格的にロードレースをやろう、と決めてモリワキさんの門を叩いて、高校生の頃には夏休みに鈴鹿泊まり込みでトレーニングやレースして、16年に『モリワキカップ』にスポット参戦できたんです」
岡谷が参加した「モリワキジュニアカップ」は、今もグランプリレースの登竜門として知られる「レッドブルルーキーズカップ」へのセレクションの意味合いもあるレース。レースだけでなく、岡谷と同世代の、世界中からやって来た13~16歳のジュニア世代とともに過ごし、トレーニングや走り方も学ぶカリキュラムを体験した岡谷は、憧れでしかなかった海外のレースを、現実として意識するようになる。
17歳でもてぎ選手権のチャンピオンになり、18歳で全日本選手権にデビュー。開幕戦となったもてぎ大会でデビューウィンを飾ると、この年に3勝を挙げて最多勝、ランキングは惜しくもチャンピオンまで5ポイント差の2位だった。
「その頃、モリワキさんにWSS300のことを紹介してもらったんです。それで19年はじめにスペインのチームと契約できて、シーズン直前にスペイン入り。初テストはミッションもきちんと入らないド新車でしたね(笑)」
岡谷のWSS300デビューは、シーズン序盤から転倒やマシントラブルが重なり、約60台のうち、30台+αが進出できる決勝レースに駒を進められたのは4戦目。第7戦のイギリス・ドニントンパーク大会でようやく15位に入賞し、初ポイントを獲得。結局、19年はこれが唯一のポイントとなり、ポイント獲得者41人の中の41位。なかなかのほろ苦いスタートとなってしまった。


「さすがに序盤は初めてのシリーズってことで、初めてのコースばかりで、右も左もわからないこともありましたが、ことレースに限っては焦っていなかったというか、冷静に自分のポジションを見られました。ポイントを獲ったイギリスではセカンドグループのトップも走れたし、チャンスはあると思っていたんです」
岡谷の2年目は2020年。しかしこの年、ご存知のように世界的な新型コロナウィルス感染拡大の影響で、WSBKのスケジュールも大幅に狂い、ようやく開幕したのは8月のスペイン・ヘレス大会。しばらくヨーロッパへの渡航さえできていなかった岡谷は国内での自粛期間が明けてすぐに、ホームコースである埼玉県・桶川スポーツランドを走り込んだ。トレーニング用に購入したNinja250SLで、ピレリジャパンが用意してくれた練習用タイヤを何本も何本もボロボロにして、暇さえあれば桶川に通っていた。
これが岡谷の財産になったのか、開幕戦ヘレスからトップグループを走り、レース1で表彰台まであと0秒055という4位フィニッシュ! 第2戦ポルトガルでは、なんと予選でポールポジションを獲得し、レース2では3位表彰台を獲得。さらに第5戦カタルニアでは初優勝まで成し遂げてしまった。ポールポジション、3位表彰台獲得、そして優勝と、いずれも日本人初の快挙だった。
30台以上の性能差のないマシンが、毎周毎コーナーでどんどんぶつけ合いながら抜きつ抜かれつを演じ、最終ラップまで10台以上のトップ集団さえ珍しくないという激しいレース展開のWSS300。2020年シーズンの岡谷もマシントラブルや転倒、まわりのライダーにマークされたのか、接触転倒も増えてしまって、この年のランキングは10位どまり。3年目の2021年も、開幕戦のレース1を3位スタートと順調な滑り出しだったが、まだ転倒や接触に泣かされるレースが続いている。
「MotoGPのMoto3クラスみたいに、速ければ勝つ、ってレースじゃないですね。マシンの性能差がほぼないクラスなので、隙を見せたらどんどんマシンを差し込まれるし、ラスト何周、どのコーナーで何番手くらいにつける、っていうレース戦略がはまらないと勝てない。予選でミスせずに前に並んで、スタートをミスせずにトップグループの中にいて、最後に勝負をかける――20年に勝ったカタルニアでは、表彰台の真ん中に日の丸を挙げられて、僕のために流れる君が代を聞けました。あれサイコーだった! またあれ、やりたいです!」


今でも、シーズンオフやサマーブレイクに帰国すると、桶川スポーツランドを走り込む岡谷。時間があると、バイクに乗っていないと気が済まない。
「桶川を走っていると、僕がレースを始めた頃みたいなジュニアがたくさん走ってます。恐る恐る近づいてきてくれたり、話をしたり、そういう、若いライダーに『こんな道もあるんだよ』って言うことを教えてあげられるライダーになりたいです。まずは僕の成績を出して、日本の若いライダーに世界への道を示してあげたいんです」
日本人初表彰台、ポールポジションに優勝。次の日本人初は、WSS300チャンピンだ。

文 Hirofumi NAKAMURA

 

 

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