
Moto2世界選手権への参戦4年目にして、ついにワールドチャンピオンの座を掴み獲った小椋藍。2015年に、14歳の時にアジアタレントカップにデビューしてからちょうど10年で世界の頂点に駆け上がった。3歳でポケバイに乗り始めてからは20年目という節目だ。
--今年は何としてでもチャンピオンになりたい、と思ったシーズンでした。どんなカテゴリーでも『チャンピオン』になることをずっと目標にして来たし、レース人生でも一番こだわってきたこと。そのぶん、嬉しさは大きかったです。
実は小椋、これまで「チャンピオン」という名前に意外と縁がないライダーだった。2022年にMoto2クラスで、さらに2020年にMoto3クラスのワールドチャンピオン争いはしてきたものの、チャンピオンの座に届かずにいたのだ。
--チャンピオンって名前はね……たしかミニバイク時代です。10歳とかそんなあたりで秋ヶ瀬かな、桶川か、榛名かな。その次が今年の世界チャンピオンです(笑)

その2024年、小椋の環境は大きく変わっていた。Moto3デビューの2019年から在籍していたホンダチームアジアから、MTヘルメッツMSiへ移籍。これは、育成チームからそろそろ卒業しなきゃ、と言う思いの表れだった。ちなみにMTヘルメッツMSiはMoto2初参戦のチームで、スペイン・マドリッドを本拠とする専門学校や技術教育施設であるモーター&スポーツ・インスティチュートを母体に、スペインのMTヘルメッツがスポンサードするチーム。ヘルメットメーカーがメインスポンサーのチームだというのに、小椋はずっと使い続けてきたアライヘルメットとクシタニレザーの使用を許してくれるなら、という条件で移籍を決めたのだ。
チームの移籍で、マシンのシャーシもカレックスからボスコスクーロに変更、さらにワンメイクタイヤも、ダンロップからピレリに変更されたシーズンだった。
--環境が一新されたのはいいきっかけだったと思います。自分も含め、新しいタイヤに乗り方や走りを合わせ直すから、速いライダーとそうでないライダーがシャッフルされる。自分も、特に予選タイムが伸びなくて、シーズン序盤はスタート位置が悪く、苦労しましたね。
その予選順位は、開幕戦カタールGPが5列目13番手、第2戦ポルトガルGPが3列目7番手、第3戦アメリカズGPから第5戦フランスGPまで3戦連続で6列目17番手――。
--シーズン序盤は、結果を見ると様子見だって思われてしまうかもしれませんが、新しいシャーシだったりタイヤに合わせるのが精いっぱいだったんです。予選順位が悪いと、レースをいいペースで走れても、追い上げるのに限りがありますからね。
それでも決勝レースでは徐々にペースをつかんでいった。開幕から4位/5位/7位/6位ときて、第5戦フランスGPでは初表彰台の2位、そして続くカタルニアGPで初優勝を決めた。
--シャーシとタイヤへの理解が深まったのがその頃だったと思います。心配なところ、ネガティブな部分を削って行って、状況やコンディションに左右されないレースができる。シーズン中盤から安定感が出てきて、それはレース中の安定感だったり、シーズンを通しての安定感だったりするんです。

第5戦フランスGPから第9戦ドイツGPまでの5戦で2勝/2位1回/3位1回と、まさに安定した好成績を残した。しかし、第10戦イギリスGPでタイヤトラブルに見舞われ、第11戦オーストリアGPでは初日トップタイムをマークしながら、2日目に転倒し、負傷。「好きなサーキット」だというオーストリアGPを欠場してしまう。
--右手首付近を骨折してしまったんですが、わりときれいに折れていて、回復が早かったのがラッキーでした。次のアラゴンは様子見で、走り始めてムリだったら出ない、出るなら1ポイントでも獲れたらいい、というレースだったんです。
痛み止めを飲んで出場したアラゴンGPでは、小椋は8位入賞、そして続くサンマリノGPで、なんと優勝してしまう。
--あのミサノで勝てたのは大きかったですね。あれで流れを切らさずに引き戻せた感じでした。
この勝利で、小椋はついにランキングトップへ。そして、小椋が安定感を手にしたのと時を同じくして、ライバル陣が調子を落としていく。シーズン序盤からシリーズをリードしていたチームメイトのセルジオ・ガルシアは、アラゴンGPで今シーズン初のノーポイントレースを演じると、オーストリアGPからの5戦で5ポイントしか獲れない状況。ミサノで小椋に続く2位表彰台に登壇したアーロン・カネットは、シーズン中盤で4度のノーポイントレースがあり、マニュエル・ゴンザレスは表彰台に上がったり、ポイント外だったりと、乱高下があった。

そして今シーズンのハイライトである日本GP。小椋にとっての日本GPは、ホームグランプリというだけではなく、2022年に優勝、2023年に2位となったゲンのいいレース。このレースは日本のファンに広く知られているように、雨上がりの路面にスリックタイヤで出走し、レース中に独走して2位フィニッシュを決めたレースだ。
--もてぎはこの上なく自分にチャンピオンシップが傾いてくれた、大きなレースになりました。雨上がり、まだ濡れている路面のレースにスリックタイヤなんて、自分でもギャンブルだなぁ、と(笑)。それでも、自分ではタイヤチョイスに確信が持てなかったので、チーフメカの意見を信じてスリックで出ました。信じてよかったな、って(笑)。でも、レースっていう意味ではそんなにいいレースじゃなかった。チームのタイヤ選択がすべてでしたね。
チャンピオン獲得の可能性もあったオーストラリアGPでは4位、そしてチャンピオン決定の対象者であるカネットに65ポイント差をつけてのタイGP。ここで小椋は5位に入りさえすればチャンピオン確定、というレースで2位フィニッシュ。自身初めてのワールドチャンピオンを決めた。
--タイでチャンピオンを決めた後、残り2レースはポイントを考えずに思い切って走れる、って楽しみにしていたんですが、マレーシアはいいところを走ってたのにマシンが止まっちゃったのが悔しかったですね。セパンって、タレントカップ時代から走っていて、走る回数もレースの回数もダントツなんですが、表彰台に上がったことが1回もなくて、今年こそは!って思ってたんですけどね。それに最終戦も、表彰台で終わりたかったんだけど、4位かぁ、最後がこれかよー、ってちょっと悔しかったですね。

最終戦を終えて、すぐに来シーズンに乗るMotoGPマシン、アプリリアRS-GPに初乗りするテストがあった。ここで小椋は、1度の転倒を含み、誰よりも周回を重ねた。86周して24人中21位。タイムはこのテストでトップだったアレックス・マルケスから2秒143遅れだが、もちろんこのタイムと順位が何かの参考になるわけではない。
--初乗りのMotoGPマシンは、そりゃ速かったですよ。300km/h超えちゃうんだから。でもスピードは慣れですし、それよりも今は、自分がMotoGPマシンという未知の乗り物で正しい操縦ができるかどうか、って段階。そうでなきゃスタートラインにも立てないし、何も見えてこない。まず自分が正しく乗れるようになってから、自分の走りができると思うんです。どういうシーズンになるかとか、正直どうでもいいです。足りないことを対策して、不安な要素をそぎ落として、自分の力を出し切れる準備をして、シーズンを走り切ることですね。
チャンピオンを決めて年末に帰国、それからイベントや表彰式など、多忙な毎日が続いている小椋。1月14日にはもう、新たに所属するチーム「トラックハウスレーシングアプリリア」の体制発表会がある。そんな小椋の今の悩みは……。
--トレーニングの時間が取れないです。お世話になっている方々がいろいろ企画してくれるイベントなので、できるだけ顔を出したいし、でも走る時間も欲しい。
オフシーズンになると、時間があれば日本中あちこちで走りまくる小椋は、ワールドチャンピオンになっても小椋のままだった。
