――あぁ、もう上手くいかないなぁ……どうしてかなぁ、って思ってたんです。
2022年シーズン、2シーズンのワールドグランプリMoto3クラス参戦から帰国、全日本選手権でST600クラスを走るシートを獲得できたものの、4ストローク単気筒250ccのレーシングマシンで戦うMoto3から、4ストローク4気筒600ccの市販車をベースに戦うST600へのスイッチは、何もかも違いすぎた。ST600は、独特の乗り方が要求される、難しいクラスだった。
この時、國井勇輝19歳。この年のST600ランキングは8位に終わり、最高位は3位表彰台が1回。グランプリ帰りとして鳴り物入りで全日本デビューを果たした割には、正直、期待外れの結果だった。

――Moto3時代は、ちょうど体が成長期に入っていたみたいで、Moto3マシンではサイズ的に正直キツかった。あれこれもがいても、自分では何もできなくて、本当に悔しい悔しい2シーズン。そこでST600を走るようになって、今度はST600マシンの難しさに苦しむことになりました。
それでも、開幕戦から全レースで順位を上げながら、最終戦で表彰台にも上った。そして23年は、ST600よりもマシンのサイズ、エンジン排気量とも大きいST1000にスイッチした。
「ユウキは体が大きくなってきてね、グランプリの時のMoto3もそうだけど、ST600もちょっとサイズ的に小さかった。俺はなんとかユウキを世界に戻してあげたくて、1000ccが合ってるじゃないか、ってST1000に乗せることにしたんだ」と、当時の所属チーム、ハルクプロの本田重樹会長が語っている。

ST1000クラスにスイッチした國井は、開幕戦でポールポジションを獲得して2位表彰台に登壇すると、第2戦でも4位入賞。しかし、鈴鹿8耐出場を前にしたトレーニングで負傷。バイクではない、自転車トレーニングで転倒車に巻き込まれ、落下した拍子にヒジと手首を骨折してしまった。
シーズンの大半を棒に振ってしまった23年が明け、24年は勝負の年。ST1000クラスとともに、アジア選手権へのフル参戦も決まったダブルエントリーだ。
――本田会長が数年かけて構築してくれたフィリピンの合宿所で冬を走り込んで、全日本の開幕より先にアジアのテストと開幕戦があって、まだ日本が寒いうちからみっちり走り込めたのは大きかったです。

そして24年の全日本開幕戦・モビリティリゾートもてぎ大会で、國井は圧巻の走りを見せる。金曜の2度の走行でトップタイムをマーク、予選もポールポジションを獲って、決勝では2位を7秒近く引き離すブッチギリの優勝を飾ったのだ。國井、これが全日本ロードレース初優勝。世界グランプリデビューから5シーズン目、全日本デビューから3シーズン目の全日本優勝だった。
続く第2戦・菅生大会でも2番手を8秒以上引き離す独走のレースで2連勝を果たしたが、第3戦・オートポリス大会のレース1で羽田太河選手に敗れてしまう。レース2では逆襲したものの、結果的にこのレース1が、國井が優勝できなかった唯一のレースとなったのだ。
――羽田選手は、渡辺一馬選手の代役で出場して、このオートポリスが初レースだったのに、負けてしまった。昨シーズンまでMoto2を走っていたライダーでもあり、強いのは知っていましたが、レース1では僕がセッティングで迷っているうちに、勢いで押し切られたというか。レース2では何とか勝てましたが、その後のレースも羽田選手とはいつも競り合いになりました。
そのオートポリスの頃、國井は25年シーズンからのMoto2参戦を打診されていたのだという。チャンピオンになってMoto2へ、それ以上にダブルエントリーしているアジア選手権でもチャンピオンを獲ってMoto2へ参戦したい――そんな思いが燃え上がったころだ。
続く岡山大会で、國井はまたも羽田選手と競り合っての優勝を果たし、シリーズタイトルを獲得。それでも控えめにしか喜んでいなかったのは、最終戦・鈴鹿も、アジア選手権の最終戦も残っていたからだ。

――今シーズンは5勝できて、1戦残して岡山でチャンピオン決めて、最終戦も優勝で終われたのはすごくうれしかった。ぼく、何かしらのシリーズでチャンピオンを獲るって、初めてなんですよ。でも、まだアジア選手権の最終戦が残っているので、喜ぶのは控えめになっちゃいます。
そのアジア選手権は、國井が最終戦を残して、ランキング2位のイズディファールを2ポイントリードしてチャンピオンシップをリード。2レース制のレース1では、チャンピオンがかかるレースへのプレッシャーのためか、かなりガチガチな走りだったという。
結果、優勝したイズディファールがランキングで國井を逆転。3位で7ポイントリードされることになってしまった國井は、ここで開き直った。

――レース1は結構緊張してました。岡山大会の時にも、結構ナーバスにはなっていたんですが、アジアの最終戦は、もっとチャンピオンがかかった重圧というものが重くて、全然ウィークの走り出しからよくなかった。それでレース1に負けてしまって『あぁ、これでもういいか!』って開き直ったんです。自分で精一杯やって負けならしょうがないじゃん、って。だから、本当にいい意味で吹っ切れました。
そのレース2、スタートでホールショットを決めてオープニングラップの混雑をクリアすると、3周目に集団を抜け出してトップに浮上。2番手にチャンピオン争いのイズディファールがつけるが、そこに最終戦スポット参戦の長島哲太が割って入る。國井-長島-イズディファールの順でフィニッシュすると、國井はイズディファールに2ポイント差をつけてチャンピオンを獲得したのだ。
――レース2はリラックスして自分のレースができました。心残りは、長島選手と競り合って勝ちたかったな、と。長島選手は、序盤にコースアウトして順位を下げて、2番手まで追い上げてのフィニッシュでしたから、僕はうまく逃げ切っただけで。それでもフリーや予選、レースでも長島選手の走りは見ていましたから、やっぱり世界を走っていた選手は違うなぁ、と思ってしまいましたから。
それでも2024年。全日本初優勝から始まって、独走優勝、Moto2参戦経験のある羽田選手、長島選手と戦っての全日本ST1000、アジア選手権ASB1000クラスのダブルタイトルは、充分に誇っていい戦績だ。このダブルタイトルを手土産に、國井は世界の舞台に「再」挑戦する。

――やっと世界の舞台に戻れるというより、またゼロからやり直せる喜びがあります。グランプリから戻って全日本を戦ったこの4年で、スキルもメンタルも成長できた実感があるし、今度こそ、っていう気持ちです。ダブルタイトルとはいえ、グランプリで走ってるライダーはみんなチャンピオン。最初から結果を出すぞ、とは言えないほど強烈な世界だとは知っているので、まずは力を出し切りたい。日本のレベルって高いんだぞ、っていうことを見せつけたいですね。
アジアタレントカップ、CEV=スペイン選手権やレッドブルルーキーズカップ、そして世界選手権Moto3を一緒に走っていた小椋藍は、Moto2ワールドチャンピオンとなり、ひと足先にMotoGPの世界へ駆け上って行った。
負けてられないぞ! 続け、ユウキ!

