第13戦・サンマリノグランプリでの優勝で、ついにMoto2ランキングトップに立ってからの小椋藍の走りの充実は素晴らしかった。
サンマリノGPを優勝で終えた後、エミリアロマーニャGPで4位、インドネシアGPと日本GPで連続2位、そしてオーストラリアGPを4位で終えると、チャンピオン決定への対象者であるアーロン・カネットに65ポイント差をつけてのタイGP。ここで小椋は、5位に入りさえすれば、Moto2ワールドチャンピオンの座を獲ることができる――そんな展開だった。
「いまですか? 乗れてると思いますよ。調子いいです、って胸張って言えますもん」
モビリティリゾートもてぎで開催された日本グランプリで会った小椋は、リラックスした表情で、母国グランプリを楽しんでいるようだった。公式スケジュールを翌日に控えた木曜日。少しの間、小椋にインタビューする時間があったのだ。
――ここまで3つ勝って、ランキングトップで日本GP。いい波が来てる感じだね。
「シーズンの初めの方は、やっぱり新しいフレームで新しいタイヤ、しかもチームも新しいって環境で、まだまだ落ち着いていける環境じゃなかったですからね。ヨーロッパに渡ったあたり(注:第4戦スペインからヨーロッパラウンド)からいろいろフィットしてきたっていうか」
――ボスコスクーロのフレームとピレリタイヤをつかんだ感じ?
「タイヤの特性とかフレームのキャラクターとか、ですね。オフのテストで予想した感じになって来てるな、と。他のみんなはどう思っているか知らないけど、乗り方は変わって来てますよね」
――開幕前にあった時には、フレームが小椋君好みで、ピレリタイヤのおかげで接戦が増えるかも、って言ってたもんね。
「去年までのカレックスフレームよりも、硬めなのかな、って思います。タイヤも変わったから直接の比較はできないけど、タイヤなのかフレームなのか、今までよりヒラヒラ乗れて、僕の好みに近いです」
――接戦というのは?
「グリップライフは別にして、グリップ任せでタイムが出せることが増えました。そのグリップが最後までキープできるコースとか、きちんとライフをマネジメントしなきゃいけないコースとか。グリップ頼みで行けるコースは、スプリント能力というか、持ちタイムが速いライダーが勝ちますよね」
――それでも、ここまで小椋君の必勝パターンができてきた気がする。
「そうですか?」
――タイヤの使い方がね、他のライバルとは違う気がする。
「そこは気をつけています。タイヤはどうしても消耗するもの。消耗してからどうバイクを動かすか、それ以前に消耗しないように、または消耗が少なくなるようにどう乗るか」
――終盤までタイヤを残しておいて、まわりが苦しみ始めてから前に出て勝つ、というパターンだよね。
「タイヤが苦しくなるのはレース中盤以降です。グリップしてるな、と思うのははじめの5周くらいですね。そのあと緩やかにグリップが落ちるコースもあるし、急にガクンとグリップしなくなるコースもある。そこを分かっているライダーが勝てるライダーなんだと思います」
――そこがダンロップとピレリの違い?
「ダンロップは、ピークからずっと変わらないフィーリング、そんなにグリップダウンがない印象でしたね。サーキットにもよりますけど、タイヤのタレが少ないイメージで、ラストラップにベストが出るなんてこともあった。それはピレリにはない特徴ですね」
――勝負になる終盤に、タイヤを戦える状態で残しておく、ってこと?
「最後に苦しくならないように気をつけて乗っていますね。終盤に勝負になって、どうにもコントロールしようがない、なんてことになると、平気でポジションを3つも4つも落としちゃいますから。0秒0いくつってタイム差の中に何人もいるとそうなっちゃう」
――日本GPを含めてあと5レース。調子いいのを続けていけば、ね。
「今年はチャンピオンになります、っていうのが目標ですから、少しずつ近づいてはいると思います。最近、イベントとかトークする場面が多くて、そういうファンのみんながいるときは『チャンピオンになります』って言っとかないと(笑)」
チャンピオンへの道を着々と歩いていても、決してナーバスになることもなく、必要以上に楽観視もしない。言うならば、いつでも平常心。これが、小椋の強さだ。
それは、小椋のここまでの戦いで培ってきたメンタルなのかもしれない。3歳からポケバイに乗り始めた小椋は、今年でキャリア20年目。本格ロードレースとしては、もてぎロードレースや筑波選手権、さらに海外のメジャーレースで言うと、2015年のアジアタレントカップ参戦から、レッドブルルーキーカップ、スペイン選手権、そしてグランプリ参戦を始めてからも、Moto3、Moto2と、ランキング最高位は2位どまり。意外なことに「チャンピオン」になったことがない。
何度もチャンピオン獲得の可能性があっただろうし、その度に緊張感を持って臨んだことも、ナーバスになったことも、プレッシャーになったこともあっただろう。それでも手が届かなかったら、もう自然体で行くしかない、と悟ったのではないだろうか。2020年のMoto3で、そして2022年のMoto2でチャンピオン争いをしながら届かなかったにも、今の小椋のメンタルを形成しているのだ。
日本GPでは不安定な天候に翻弄され、決勝レース開始と同時に振り始めた雨のために赤旗中断となり、中断が明けてからは、うっすらと濡れた路面に、スリックタイヤでスタートしていった。あのコンディションでスリックタイヤを選んだライダーは、28人中8人だった。
「レースが始まって雨が降ってきて、スリックなのかレインなのか、選ぶ自信がなかったんです。こういう時は、チームでいちばん自信がある人の意見に乗ろう、と思って、チーフメカニックの『スリックだ!』という意見に乗ったんです。最初はビビりましたよ。でもサイティングラップでコースを1周してみて、コースはそんなに濡れていなかった。これならまた降り始めない限り大丈夫だ、って思ったんです」
結果、同じくスリックタイヤを選んで、小椋よりもドライ路面セッティングを選んでいたマニュエル・ゴンザレスにかわされてしまったが、チャンピオンシップのライバルたちが軒並み下位に沈む中、2位表彰台に登壇。小椋が2位で20ポイントを加算する中、当時のランキング2位のセルジオ・ガルシアは14位(=2ポイント)、アロンソ・ロペスは9位(7ポイント)、アーロン・カネットは16位で、ジョー・ロバーツは最下位27位でノーポイントだった。
続くオーストラリアGPでも、小椋は4位に終わったものの、ライバル勢ではカネットがタイトル決定対象者となって、優勝したフェルミン・アルデゲルもランキング3番手まで上がって来るも、次戦タイGPで11ポイントを獲れば、カネット以下に51ポイント差をつけることができて、残り2レースで両方勝たれても50ポイントしか獲得できず、5位に入りさえすれば小椋のチャンピオンが決まる、とそういうレースだったのだ。
オーストラリアGPから2連戦となるタイGPでは、初日フリー走行で4番手、プラクティス1で6番手、プラクティス2でトップタイムをマーク。公式予選ではポールポジションを獲得。小椋は今シーズン、フロントローからのスタートで表彰台を逃したことは一度しかない。
決勝レースでは、好スタートでホールショットを奪うも、カネットの勢いにパスされ、最終コーナーでは後続に押し出される形でポジションを落とし、1周目は7番手で通過。トップはカネット、この位置では49ポイント差しか作れず、チャンピオン決定は持ち越しになる。
それから小椋は、いくらか落ち着きを取り戻したか、ロペスのオーバーランで順位をひとつ上げて6番手、4-5番手を走るダリン・ビンダーとディオゴ・モレイラにジリジリと迫ってみせる。4周目にビンダーをかわすときに接触されてヒヤリとした場面はあったものの、ジェイク・ディクソンを抜いて4番手、6周目にモレイラをかわして3番手、ここからファステストラップを連発してマルコス・ラミレスを仕留めて2番手へ。このままいけば、もうチャンピオンは確定、勝って決めるならば、あとは約1秒先を走るカネットだけだ。
しかしタイ・チャーンサーキットには小雨が降り始め、まるで日本GPの決勝日のように、オーストラリアGPの金曜日のように天候が崩れ始める。もう無理をしない小椋は、カネットが差を広げてもペースを上げないまま、雨が降り始めてレースは赤旗中断からのレース成立。カネットが優勝しても、2位となった小椋はカネットに60ポイント差を築くことに成功し、チャンピオン獲得を達成! 小椋にとって、ロードレースでの初めてのチャンピオンだ。
このチャンピオンは、世界グランプリの中量級クラスがGP250からMoto2となって日本人として初めて。GP250時代を入れると、1993年の原田哲也さん、2001年の加藤大治郎さん、09年の青山博一・現ホンダTeamアジア監督以来、15年ぶり。全クラスで言うと、1977年GP350クラスの片山敬済さん、94/98年の坂田和人さん、95/96年GP125クラスの青木治親さんにつづいて7人目のロードレース世界チャンピオンだ。さらに、2014年からスタートした「アジアタレントカップ」出身のライダーの中で、初めての世界チャンピオン。
「言葉にならないです。信じられない。レースが終わって、今まで一緒にやってきたみんなの顔が次々と思い浮かんで、みんなにありがとう、って思いました。ごめんなさい、本当に何も言えない。すごくうれしい!」
チャンピオン獲得後、最初のコメントがこうだった。クールダウンラップでは、常々、結果を出して、それで周りのみんなが喜んでくれるのが何よりうれしい、という小椋の元に、ライバルのライダーたちが次々と祝福にきてくれた。
チャンピオン獲得のセレモニーでは、あらかじめチームで決めていたであろう場所にバイクを停め、ウェット路面となった日本GPで、スリックタイヤで小椋を送り出したチーフメカニック、ノーマン・ランクと小芝居をひとつ(笑)。将棋盤を模したボードをはさんで、おそらく小椋が王手→ランクが参りました、とアクションをすると、その将棋盤裏がチャンピオンプレートになっている、という仕掛けでチャンピオンタンクトップとチャンピオンヘルメットを受け取って、クールダウンラップの続きに走り出した。
パルクフェルメに帰還すると、ピットロード入口で、アライヘルメットの現地サービスマン、古厩さんが小躍りして出迎え、クラスやチームに関係なくたくさんの関係者が小椋をお出迎え。その中には、小椋が尊敬する日本人ライダーの先輩、中上貴晶の姿もあった。
パルクフェルメでは、チームのだれ彼ともなく抱擁を繰り返し、ついにはメカニックに抱えられてチームッスタッフの頭上に放り投げられ、なんとも荒っぽい胴上げ。そこに、アジアタレントカップ時代の指導者、アルベルト・プーチさんも姿を見せた。
表彰式が終わってからのシャンパンファイトでは、ボトルを抱えてチームスタッフの元へ一目散に走り出し、歓喜のシャワーを振りかけた。みんなが、雨とシャンパンでびしょびしょだ。
アイがやった、みんなが喜んだ――20万人を飲み込んだタイ・チャーンサーキットで、本当にみんなに愛されている小椋の幸せなセレモニーはその後もしばらく続くのだった。
さぁこれで、あとはノンプレッシャーでマレーシアGP、バレンシアGPを戦ってシーズンは終了。その2日後には、2024年Moto2ワールドチャンピオンという肩書きとともに、MotoGPマシンのテストがスタートする。
藍、おめでとう。日本のレースファンみんなに、最高のプレゼントをありがとう。
写真提供/MTヘルメッツMSi