自力でつかんだWSSP600 ~岡谷雄太 WSSP300からステップアップ

「デビューシーズンは本当に右も左もわからない状態でした。そして2年目に初優勝できて、レースをすることに自信がついて、3年目は優勝こそできなかったけど、コンスタントに上位を走れるようになって――。今年はなんというか、レース全体を見られた、コントロールできるようになった、そんなシーズンでした」

岡谷雄太――日本人唯一の世界選手権ワールドスーパースポーツ300(=WSSP300)参戦ライダー。2020年に日本人ライダーとしてWSSP300クラスの初ポールポジション、初優勝を挙げ、4年目の22年シーズンは、ポールポジションを1回、カタルニア大会では優勝も決め、その1勝を含めて表彰台には4回立ってランキング7位。WSSP300初優勝を決めた20年シーズンを超えるインパクトを残したシーズンになった。

しかし岡谷は、シーズン最終戦のポルトガル大会のフリープラクティスで転倒を喫し、決勝レースはドクターストップ。その2戦前のフランス大会でも、決勝前のスーパーポールで転倒し欠場。ドクターストップで今年は2戦4レースを欠場している。ランキングベスト10の中で4レースも欠場しているのは岡谷だけ、つまり「たられば」を承知で言わせてもらえば、ランキング3位も狙えたシーズンだった。

日本で練習に使用しているカワサキNinja250SL。岡谷が桶川で走り出して、桶川ではNinja250SL人気がグンと上がってる。練習用タイヤもピレリジャパンが提供してくれる。

日本に帰国して約2カ月。埼玉県・テルル桶川スポーツランドに走り込みをする岡谷の姿があった。最終戦の転倒で、鎖骨と肩甲骨を骨折、肺挫傷も引き起こしていた岡谷の、2カ月ぶりのリハビリランだ。
いつもの練習用マシンは単気筒モデルのカワサキNinja250SL。関東きってのミニバイク名門コースであり、岡谷が日本にいるときには3日と空けずに練習に通う桶川スポーツランドを、岡谷の黒いNinjaが走りまくる。ブレーキングでリアを振り出し、立ち上がりでフロントを高々と持ち上げる姿は、とても2カ月ぶりの走行には見えない。
「鎖骨だけならもうすこし復帰も早かったんですけど、肩甲骨もやっていたので、ちょっと慎重に時間おいてみました。2カ月もバイクに乗らなかったのは、レースを始めてから初めてじゃないかな。16歳の頃、部活で大けがをしたことがあってそれ以来かもしれないですね」

4年目を迎えた22年シーズン。自分の調子、マシンのパフォーマンス、そしてシーズンの流れがうまくかみ合わないスタートだった。
「開幕戦は予選5番手、レース1が5位、レース2では他のライダーの転倒に巻き込まれてのリタイヤだったんですが、今年はチームの中身が少し変わって、チーフメカも交代。なんかうまくいかないな、と思ったスタートでしたが、第2戦はチームの地元であるオランダ・アッセンで、このあたりからうまく回り始めた感じでした。僕のやりたいこととチームの方向性が一致してきたというか、レースを進めやすい、やりやすいんです」

第3戦エストリルでは、コースレコードを更新して、シーズン初ポールポジションを獲り、レース1では3位表彰台。レース2ではトップグループを走りながら、終盤に順位を下げて8位フィニッシュ。レース1でもう少し早く集団を抜け出していたらもっと前に行けたし、レース2では逆にもう少し集団にいれば、他のライダーにスリップストリームを使われずにもっと上位入賞できたかもしれない。
WSSP300は世界グランプリMoto3クラスと並んで、勝つこと、レース戦略が難しいレースだといわれる。ただ速くてもだめだし、タイムが出ていなくても上位入賞できることもある。展開をしっかり考えて、レース序盤にはこのあたりの位置に、中盤にはこのへん、そしてラスト数周にはこのあたりにいて、というケースを常に考えていなければ優勝、上位入賞は難しいのだ。そのレース戦略も、セオリーや正解などなく、毎レースのように変わっていく。
「そういった流れ、勢いをコントロールできたのがカタルニア大会でした。ラスト数周にいい位置にいられて、最終ラップの最後のひとつふたつのコーナーまで待って待って、狙ってて優勝できたんです」

シーズン中、WSSP300はこんなバトルが毎戦のように繰り広げられている。ゼッケン6 1が岡谷。(写真提供/WorldSBK)

カタルニアのレースは予選3番手からスタートし、12周のレースの序盤からトップグループで走行。何度かトップに立つ場面もあったが、そのまま少し下がってレース終盤へ。ラスト3周あたりで集団に飲まれてしまい、一時はグループ最後尾、10番手あたりまで下がってしまう。
岡谷はそこから焦らず、ひとつづつ順位を上げて4~5番手あたりで最終ラップへ。さらにコーナーごとにポジションを上げ、トップ争いとなっても、前に出るタイミングを計って計って、最終コーナーでトップに立って逃げ切った。所も同じカタルニアで2年ぶりの優勝、前回にも最終コーナーでパッシングしての優勝だったこともあって、WSBKの公式動画が「岡谷がまたやった! まるでバレンティーノがホルヘをかわしたシーンの再現だ!」とパッシングシーンの動画をアップしたほどだった。
「あの優勝こそ、レースをコントロールできたレースでしたね。ポジションを落としても、まわりのライダーのことがよく見えていて、ここでひとり、ここでもうひとり抜いて、というプランどおりに走れた。最終ラップの最終コーナーも『あれ?おととしもこんな感じじゃなかった?』って考えながら、2番手に留まって得意の最終コーナーでトップに立ったんです」

ただレースに優勝するだけでなく、まわりのライダーもコントロールしてのレースが出来たり、出来かけたり。岡谷はもう、その境地に達している。競り合いが激しいWSSP300というクラスだからこそ、このスキルが身に着いたのだろう。
「これでWSSP300は卒業できるかな、と思いました。もちろん、チャンピオンは獲りたかったけど、思うようにレースができることが増えたというか、やり切れたな、と。23年は600クラスにスイッチ、新しいチームに移籍することになりました」

リハビリランを開始して数周、もうコーナーでの進入スライドを始める岡谷。桶川の路面は、ヨーロッパでのいい練習になるのだという。

岡谷はこの数シーズン、納得がいくシーズンが送れたら、ワールドスポーツ600(=WSSP600)にステップアップするつもりではあった。ただし、ことはそう簡単にはいかないものだ。例えば岡谷が、メーカーのバックアップを得てWSSP300に参戦していたのならば、時期が来ればステップアップの話は自然と舞い込む。
しかし、岡谷は単身ヨーロッパに乗り込み、WSSP300を4年戦ってきた。次のチームを探すにも、自分で交渉相手を見つけ出し、条件面を話す必要があるのだ。

「それで、今シーズンはマネジャーをつけたんです。MotoGPパドックにもいますが、WSBKにもいる、ライダーの走る環境や条件を交渉してくれるプロ。もちろん僕以外のライダーも担当していて、彼が23年のチームを交渉して、見つけてくれたんです。自分で切り拓いて掴んだ600のシートですね」

「走ってみたら、痛みもほぼ大丈夫。少しずつ調子を戻して行って、シーズンインには充分に間に合うと思います」(岡谷)

23年から岡谷が所属するのは「プロディナレーシング」。WSSP300クラスに参戦するイタリアのチームで、岡谷とともにWSSP600にステップアップする形だ。マシンはカワサキZX-6R。
実はこのステップアップ、そしてチームスイッチは、岡谷が22年の鈴鹿8時間耐久レース「SSTクラス」優勝を飾ったことも、移籍の追い風になった。
「鈴鹿8耐のSSTクラス優勝をしたことは、ヨーロッパではすごく反響がありましたね。ライブで観てくれていた関係者からレース後にすぐお祝いのメールをもらったり、向こうに帰ってからも、パドックとかピットでいろんな人がお祝いしてくれて。本当にあの8耐は、いいチームで走らせてもらえて、チームメイトに助けてもらって、いろんな意味で大きな8耐でした。鈴鹿8耐って、いまヨーロッパのライダーがすごく走りたがっているレースなんですよ」

23年シーズンは、WSSP600は全日本ロードレースST600クラスから、阿部真生騎がWSSP600に参戦を開始することも話題になっている。岡谷とふたり、クシタニのスーツを着て参戦予定だ。
「阿部くんもWSSP600に来ることで、楽しみだし、もちろん負けられない。23年シーズンは、日本人ライダーが活躍するWSSP600にぜひ注目してください!」

最新情報をチェックしよう!