みなさん初めまして。現在WSSP300(※)という世界選手権に参戦している岡谷雄太です。
※FIMスーパーバイク世界選手権 ワールドスーパースポーツ300クラス
僕は7歳の時にバイクに出会い、レースを始め、今では目標でもあった世界選手権に参戦しています。このWSSP300というクラスには2019年から参戦していて、その前は全日本選手権にのJ-GP3クラスに参戦していました。ちなみに僕はミニバイクの頃からずっとクシタニのスーツを愛用していて、他のメーカーのスーツは着たことがありません。
さて今シーズンはコロナウイルスの蔓延により僕の参戦するWSBKの開幕も延期となっていました。通常であれば4月に開幕を迎えるため、3月にはテスト等をこなし、シーズンに備えます。しかし最終的にシーズンが開幕したのは7月。日本で開幕を待っている間は、今年のレースは無いのではとまで思っていました。開幕戦を迎えたはいいものの、最初の舞台であるスペインのヘレスは毎日40度以上の気温で、サーキットに居るだけでも大変な程でした。 このヘレスではRace1で4位を獲得することが出来ました。Race2は他者に接触させられ転倒したものの、レースのほとんどをリードし、トップを走っていました。Race1の4位は周りのアクシデントに助けられての4位だったため素直に喜べるものではなく、なんとも複雑な、悔しさが残るレースウィークでした。でも昨年はポイントを獲得できる15位がベストリザルトだったためかなりの成長がありました。
そしてヘレスの悔しさを胸に迎えた2戦目ポルトガル、ポルティマオ。スタートから好調ではありましたがフリー走行からチームメイトは僕が彼の後ろに付くのを嫌っているようでした。ヘレスの走りで彼にも危機感があったようです。FP3ではもう一度チームメイトの後ろに付いた時、彼がアタックをやめて僕の方へ振り返り中指を立ててきました。僕は気にすることなく単独で走りましたが、流石に酷いと思っていました。走行後そのチームメイトは罰金を課せられていました(笑)
その後予選では計測1周目で上手く他者のスリップストリームを使うことが出来、ポールポジションを獲得することが出来ました。そしてチームメイトは2位というしてやったりな結果でした。Race1では自分のミスにより2周目に転倒。しかしRace2では3位表彰台を獲得することが出来ました。WSSP300クラスで日本人初の表彰台になりました。でも優勝のチャンスがあったレースだっただけに正直悔しいレースでした。
その後は次のレースまで2週間あったのでチームのワークショップがあるチェコ、プラハへ行きました。いつか行ってみたい場所の一つだったプラハはもの凄く綺麗な場所で特に街並みが最高でした。正直食べ物に関しては、チェコ料理は日本人が好きな味では無いかもしれませんが・・・(笑)
新しい街にすぐ慣れるのはなかなか簡単ではありません。行くところ行くところ言葉が違ったり、文化が違ったので適応するのに疲れたりもします。 次に迎えたアラゴンの2連戦。今年は1開催で2レースのためアラゴンでは4レースありました。 しかし1レース目の1周目、後方のライダーから追突され理不尽な転倒リタイアを喫しました。 2レース目はスタートが決まり、追い上げて行こうとしたところ自分のミスでスリップダウン、リタイア。3レース目はレース終盤までこなしたものの、またも接触され転倒。そして最終レース、スタートのシグナルが消えた時、マシントラブルでバイクが進まず、リタイア。。。まさかまさかの4連続リタイアでした。流石にこの結果には堪えました。半分心が折れていたと思います。
その後僕がどうしたかというと精神的にも疲れ、現地の食事にも飽きがきていたので自分で日本食を作って食べていました。そしてトレーニングはより厳しく、毎日決めた課題をこなすようにしていました。そして次のレースを迎えました。舞台はカタルニア。初めて走るコースでしたが初日のFP1から調子が良く、全体の5番手からスタート。とにかく走っていて楽しいコースでした。 予選では2番手。 Race2では念願の初優勝を獲得することが出来ました!!正直レース中はトップグループについて行くのが精一杯でしたが絶対に諦めないと思っていました。何度も諦めかけましたが最後に結果として現れて諦めなくて良かったと心の底から思いました。このレースで諦めないことの大切さを自分で教えられました。このレースからは確かな自信を持ってレースに臨むことが出来ました。
その後の2戦、フランスのマニクール、ポルトガルのエストリルでは表彰台は獲得できなかったものの、全てのレースセッションで厳しい状況の中諦めることなく戦い続けることで良い結果に繋がっていました。 今シーズンはコロナウィルスの影響が多くあり誰も経験したことのないシーズンで、凄く内容の濃い3ヶ月でした。この2020年シーズンを一生忘れることはないと思います。