2026夏、今年も暑さ厳しい日々ですね。バイクに乗る際は、十分な水分補給はもちろん、皮膚温度の上昇や体力の消耗を抑えるためにも肌への直射日光を遮るメッシュジャケットなど装備対策も必須です。
暑さ大敵!と言いたいところですが、クシタニのものづくりにおいて、この暑さから生まれたものがあることはご存知ですか? それが、「パンチングメッシュのレザー」です。
1983年、鈴鹿8耐で勃発したハサミで穴あけ騒動
今回ご紹介するパンチングメッシュ誕生秘話は、昔発行していた会報誌「Explorer V3 No.68」(1993年5月発行)でも紹介しています。このページを少し抜粋して読んでみましょう。
メッシュスーツのアイデアは、1983年7月の鈴鹿8時間耐久レースで生まれた。(途中省略)クシタニのレーシングサービスコーナーに突然現われたのは、ヨシムラ・スズキのエースライダー、グレアム・クロスビーである。
彼は無言のままハサミを取り上げると、自分のレーシングスーツにあてがって穴を開け始めてしまった。驚いたクシタニのスタッフはハサミを奪い、クロスビーの“バカな行為”を制止しようとしたが、クロスビーは「暑いんだよ!いいだろ、風を入れたって!」とまくしたてる。もちろんクシタニスタッフは、危険だから、と必死になって止めようとする。大声が飛びかう大ゲンカだ。
その模様は周囲の気温より2倍も3倍もホットになったような興奮ぶりであったらしい。この出来事がメッシュスーツへのアイデアとなったのである。【以上、原文ママ】
なかなか興味深いエピソードですね。ちなみにグレーム・クロスビー氏は1980年の鈴鹿8耐でヨシムラを優勝に導いており、この1983年の鈴鹿8耐予選ではポールポジションを獲得しています。夏の暑さもさることながら、レースへのボルテージも最高潮だったのではないでしょうか。(残念ながらマシントラブルで決勝結果は13位)。
当時の決勝リザルトを見ると、曇り・ドライの表記のみ。そこで気象庁の過去データを確認すると、決勝が行われた1983年7月31日三重県四日市の天気は曇りで、最高気温は33℃。鈴鹿もきっと同様の暑さだったと予測できます。
ただ単にレザーに穴を開ける、それは非常に危険なこと
話を本題に戻しまして、パンチングメッシュの「研究」と「開発」についても会報誌内で触れているので、ご紹介しましょう。
研究開発は当然のように、メッシュ穴の形状からスタートした。そして穴の大きさ、穴と穴の間隔の検討へと進む。これらの要素を組合せ、幾度となく強度試験などを繰り返す。だが、こうした物理的な試行錯誤を重ねていけば完璧なメッシュスーツが必ず出来るかといえば、それは違う。
ただ単にレザーに穴を開けるのは非常に危険だ。例えば転倒などの場合、何かが穴に引っ掛かればレザーは簡単に引き裂かれ、プロテクション機能を発揮できなくなるのだ。だからそのためには、皮革の性能も高くなければいけない。結局、メッシュスーツの開発の成否は、皮革の処理技術と切り離しては考えられない訳である。(途中省略)永い年月に培われた皮革技術のノウハウは、クシタニ製品の高品質の源泉だ。
(途中省略)メッシュスーツの開発にあたってもなめし剤などの研究開発を綿密に行い、穴を開けて高い引き裂き強度を持つレザーを完成させ、ノウハウをさらに一段、積み重ねることとなった。【以上、原文ママ】
現在では、ザイロンニットも適所に配し、より運動性や通気性に優れたレザースーツを提案していますが、こうした研究 & 開発を経て、クシタニのレザースーツは進化を続けてきたのです。
そしてレーシングスーツは、数々のトップライダーと共に開発を続け、現在は「NEXUS」という名のもとにその完成度を高めています。MotoGPで活躍中の小椋藍選手をはじめ、コンマ1秒を競うライダーたちに、そしてバイクを愛する数多のライダーのために、より高次元のパフィーマンスと信頼性を追求し続けていきます。