バイクを愛する人々に”良品”を届ける

革製品作りの技術と、遠州地方の”やらまいか精神”が生みだした革ツナギは、
メーカーのテストライダーだけが着用できる特別なバイク服。
クシタニは、その憧れを誰もが手にできるプロダクトに変えた。

60年代はバイクメーカーのテストライダーが、街中を颯爽と革ツナギで走行テストしていた。その姿に憧れ、ライダーはこぞって革ツナギ(当時はすべてオーダー)を着用。写真右上は改装した当時の浜松の櫛谷商店、左上は現会長の櫛谷久さんが高校時代に手伝いを始めた浜松店での1枚。下段右はカワサキW1に跨る久さん

憧れのバイクウエアを多くのライダーへ

クシタニが「上下がつながった革のレース服」、すなわちレーシングスーツを日本で初めて手がけたことは、古くからのライダーにはあまりにも有名だ。しかし、革製品作りに高い技術を持っていたものの、当時は浜松の小さな商店。最初の革ツナギ(1953年)から10年余り経っても、バイクメーカーの依頼でテストライダー用の革ツナギを単品で作るのみだった。
それを”誰もが手にできる商品”に変えたのが、創業者夫婦の息子であり、クシタニの現会長である櫛谷 久さん。16歳になる前からバイクに乗り、さらにそれ以前から家業を手伝う傍ら、テストライダーのモトクロスブーツの”底”の角度や厚さを研究するなど、モノ作りに興味を持つ少年だった。
”バイクの街、浜松”だけに、市中を駆け抜けるテストライダーの姿にあこがれる若者も多い。そこで革ツナギはもちろん、ツナギの革を使ったロードブーツも考案。当初は街の靴屋さんに依頼し、内縫い(いわゆるマッケイ製法)で履き心地が良くスリムに仕上げ、カラーも揃えた。また、アメリカで人気の上下をファスナーで切り離せる”デイトナスーツ”や、ヒザやヒジ、腰などに革パッドを装着した綿製のツナギなど、様々なバイクウエアを作った。

1970年代初頭に作成したクシタニのカタログ第1段は、レザースーツをはじめ、驚くほど豊富な品揃え。商品を久会長自身が着用し、カメラのセルフタイマーで撮影したという

 

じつにこれは、久さんが10代後半のわずか数年の間の話。そして20歳を迎えた1971年には櫛谷商店を法人化し、ほどなくクシタニ初のカタログも製作。日本のスポーツバイク黎明期であり、高度成長の真っただ中という時代性があったのも確かだが、この行動力とスピード感には目を見張る。
限られたテストライダー(現在で言えばワークスライダー)しか着用できなかった”特化されたバイク服”を、ライダー誰もが手に入れられる。これは同社の最新レザースーツでも同じことがいえるが、そんなクシタニの土台は、この時すでに作られていたのだ。

櫛谷商店は1971年に法人化して有限会社に。同時期に商標登録した”富士山マーク”は、当時の櫛谷商店のうらの物干し台から見えた富士山がモチーフに
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