「日本で力をつけて、もう一度世界のレースに挑戦してみたいんです」
ワールドスーパースポーツ300で、日本人初ポールポジション、そして初優勝を挙げた岡谷雄太が、全日本ロードレースに帰って来た。全日本への参戦は2018年以来。しかもそのシーズンはJ-GP3クラスへの参戦だったから、一気に最高峰クラスへの挑戦ということになる。
岡谷が走るのは、自ら設立したHICity Racing Aprilia(エイチアイシティ・レーシング・アプリリア)という新規チーム。これは、岡谷の地元である、東京・大田区は羽田エリアの製造業をバックボーンにするチームで、岡谷がチーム結成に向けて動き、実現した、地元密着の新しい活動体だ。

「もともと羽田エリアの皆さんとは、地元の付き合いで食事したり、商工会議所のミーティングに参加したりしていたんですが、ある日『岡谷さんは何やってる人?』なんて話になって、実はオートバイでレースをやってるんですよ、って話したら興味を持ってくれて、それじゃぁ大田区発のオートバイチームでも作ろうか!なんて話が始まったんですよ」(岡谷)
岡谷の地元、羽田エリアというのは、もちろん東京国際空港がある場所であり、場所柄でも工業地帯、周辺に大小のまち工場があることでも知られているエリアだ。TVドラマ「下町ロケット」のモデルにもなった町で、かつては「工場の数」が東京ナンバー1になったこともある、金属加工、樹脂成型、切削、穴あけや研磨に、メッキや鋳造といったプロフェッショナルがいるエリアだ。
考えてみれば金属加工や樹脂成型、鋳造や切削なんて、クルマやオートバイのパーツづくりに密接な関係がある職種だと言える。
「僕はそんな町で生まれ育ちましたから、レースやってると、羽田の職人さんたちのスキルのスゴさがよくわかるんです。でも、それを世界に広げたら面白いのにな、ビジネスチャンスあるのにな、とは思っていて、じゃぁそれを僕がやってもいいんじゃないか?って思ったんです。大田区で作ったパーツをレーシングマシンに装着してみたら面白そうだし、レーシングマシン用のパーツメーカーがあったっていいんじゃないかな、って」(岡谷)

もちろん、大田区の職人さんたちだって、自分たちの技術を世界に広めたいと思っている。でもその手段もわからないし、社員数4~5人のまち工場では、広報宣伝なんてところまで手が回らない。岡谷君応援するよ、じゃぁ僕は大田区のアピールに走ります――なんて話がまとまるまで、そう時間はかからなかった。
岡谷のバックアップの先頭に立つのは、羽田に2023年にできた「羽田イノベーションシティ」。羽田空港そばにある、研究開発施設や先端医療センター、観光体験施設を伴なうスマートシティで、日本の最先端技術を集めようとしている場所であり、技術集団だ。
岡谷はこんな場所で、今までのレーシングチームとスポンサーのような関係性とも少し違う、羽田エリアを中心とした大田区の町おこしも考えながら、地域のバックアップを受けるレース活動としていくのだという。
「可能ならば、僕のマシンのレーシングパーツを大田区メイドにしたいし、すでにいくつかのパーツを作ってもらう話も進めています。考えてみたら、羽田の工場群には、金属加工とか樹脂成型が得意なまち工場が多いんですけど、それってモータースポーツにすぐ関係するような技術がたくさんあるんですよ。僕はその技術や製品をレースにつなげたいし、それがほかのチームやレース、世界に広がってくれると嬉しいですよね。そういうプロモーションをして、大田区をアピールしたい」(岡谷)

そして、その岡谷がレース機材に選んだのが、外国車であるアプリリアRSV-4。もちろん、ホンダやヤマハも考えたけれど、岡谷の将来を考えてアプリリアにしたらどう?とアドバイスしたのが、エグケンガレージの江口謙だった。
「国産マシンを使うなら、雄太はすぐにいいセンに行くと思うし、それでも上にあがっていく時、どうしても国産メーカーのセミファクトリーやトップチームの壁に当たると思うんです。ご存知のように、トップチームにしか供給されないパーツ、メーカーに認められたチームじゃなきゃできない体制ってものはあります。だから、そういったしがらみがない、パフォーマンスで勝負できるアプリリアで行こう、って言ったんです」(江口)
江口も2022年までアプリリアで全日本選手権に出場し、アプリリアの大きな可能性を肌で感じていたからこそのアドバイス。ワールドスーパーバイクのチャンピオンマシンでもあるRSV-4は、江口に言わせると純レーシングマシンにすごく近い車体構成なのだという。これまで市販車改のビッグマシンへの経験が多くない岡谷にはピッタリだと思ったのだという。
そのシェイクダウンは、全日本ロードレース開幕の約1カ月前。モビリティリゾートもてぎのスポーツ走行で、岡谷は無事に初乗りを済ませていた。もちろん、まだまだタイムを出すまでの走りはしていないが、初めて乗るアプリリアRSV-4、そして1100ccの水冷V4エンジンがどんなものかを味見したのだ。
「思ったより普通だったというか、僕は大排気量のマシンは、鈴鹿8耐で乗ったカワサキZX-10RとホンダCBR1000RR-Rしか乗ったことがなかったんですが、外車だとかV4だとかって特別感はありませんでしたね。でも、低回転からのトルクがすごいし、フレームと足回りのグレードがすごくいい。これから本番まで時間はありませんが、ひとつずつ理想のマシンにしていこうと」(岡谷)

次の走行機会は、もう開幕戦を前にした公開事前テスト。ここで岡谷は2日間4セッションの走行で着実にステップを上がってみせた。1回目の走行では13周してベストタイムは1分55秒993、2回目で19周して1分54秒819、2日目の3回目には19周して1分54秒386、最後の走行は21周しての1分53秒694。シェイクダウン以外、初の本格的な走行としてはまずまず。少しずつでもタイムアップしたことが、無事に走行できていることの証拠だろう。
「まだまだ全然タイムアタックした実感はないんですが、だんだんマシンのいいところと悪いところが分かってきた気がします。何といってもエンジンにトルクがありますね。他のマシンとの比較ではないんですが、僕の走りの手応えとしてパワーがある。今の状態でも電子制御のメニューが多いのがRSV-4の特徴なんですが、まだすべての制御を切って走行しています」(岡谷)
いよいよレースウィーク。公開事前テストからわずか1週間では、マシンのセッティングが進むというより、整備を終わらせるのが精いっぱい。開幕戦では、フリー、予選、そして20周の決勝レースすべてを使って、岡谷が使いやすいマシンにしていくのが目標だ。
そのレースウィークでは、初日のフリー走行で、1本目に11周して1分54秒797、2本目は10周して1分54秒035。4輪の走行時間帯もある「もてぎ2&4」ならではの、4輪が走ったあとの路面コンディションの悪化も初めて体験した。

そして土曜の公式予選では、17周して1分52秒850。ここまでの走行での最速タイムが出て、30人のエントリー中25位。9列目からのスタートだ。
決勝レースでは、スタートから順位を上げることはできず、全日本ロードレースのベテラン、須貝義行選手とポジション争いをする中で、走行中にエンジントラブルが起こり、何度も失速。それでも20周を走り切って完走。トップから周回遅れとなったが、出走28人中22位でフィニッシュした。
「順位はほとんどビリですが、まずは20周を走り切ったことが大きい。やっとちゃんとしたレース距離を走った感じです。タイムは想定していたものとは遠いものにはなりましたが、アプリリアの問題点もハッキリわかったのが収穫だと思います」(岡谷)

レースウィークには、岡谷のピットに、大田区の知人友人や、羽田イノベーションシティに参画している企業のスタッフたちがたくさん。総勢20人くらいが応援に来てくれていたのだという。
さらに、実は公開事前テストと開幕戦の間のわずかな時間を使って、カタールで行なわれたMotoGPに視察へ行き、大田区メイドのパーツを、アプリリアのMotoGPチームに紹介もしてきたのだという。いつか世界の舞台に戻りたい、という岡谷は、確実な一歩を踏み出したことになるのかもしれない。
「全日本で勝ちたいとかチャンピオンになりたいって気持ちはもちろん、大田区メイドのパーツで世界のレースに出たい、世界のレーシングマシンのパーツを作っていきたいという夢があるんです。Moto2に大田区メイドのフレームで打って出られたら最高ですね!」
