白×赤のカラーリング、通称グンヘルに身を包むグン
自転車より早くポケバイに乗れた少年
彼の名はミエ・グン。22年4月に16歳になったばかり。この名前と、このマシンのカラーリングといえば――。
「はい、バリバリ伝説の大ファンです。僕も若い頃、峠を走ったり、それで散ったり(笑)、レースしたり。それで子どもにこの名前をつけて、4歳からポケバイに乗せたんです」
そう言うのは、グンの父、彌榮淳一さん。漫画の世界は巨摩郡、こちらは彌榮郡。鹿児島鹿屋市から、全日本ロードレースに参戦して、2022年で3シーズン目を迎える親子鷹だ。
では、実際に4歳からポケバイに乗せられたグンは、どう思っていたのだろう。
「4歳の頃ですよね、覚えていますけど、イヤとか嫌いとか楽しいとかっていうより、気が付いたらいつもポケバイがあって、最初は上手く乗れないから、自転車用の補助輪つけて走ってたんですよ(笑)。自転車に乗れるようになるより先にポケバイに乗れてました。始めて1~2年した頃から楽しくなってきた覚えがあります」
グン少年のポケバイ初乗りは、今はもうない地元の小さなサーキット。それから淳一さんは、鹿児島から福岡、北九州の九州エリアはもちろん、関西は近畿スポーツランドやスポーツランド生駒、そして関東はサーキット秋ヶ瀬、榛名モータースポーツランドと、全国を走り回った。
初レースは榛名で。初めてポケバイに触れて2~3か月のレースでデビューウィンを果たし、その後も全国のポケバイレースを走りまくり、当然「鹿児島のグン」の名前は全国区で轟くことになる。
そしてグン少年は10歳でMFJのポケバイ全国大会で優勝、11歳でミニバイク全国大会も制覇。それから鈴鹿サンデーに参戦をスタートしたのが12歳あたりで、今も師と仰ぐ徳留真紀と合流することになる。今も現役バリバリ、元グランプリライダーである徳留も、グンと同じく鹿児島のライダーだ。
「地元でスクールをしていた時期があったんですが、熱心にお子さんのこと指導してる『ミエさん』って人のことは聞いてたんです。グンが8歳とか9歳の頃で、ポケバイで走っているところを見たら、もうモノスゴい走りをするコで! 僕もいろんな子供の走りを見てきていますが、グンのはもう衝撃的だったというか、稲妻が走りました。このコはこの先、いい体制で正しくモチベーションを失わないようにしてあげれば、GPまで駆け上がっていくな、って思いましたね」(徳留真紀)
74からミニバイクにステップアップしたグンは、11歳でSRS-MOTO(=鈴鹿レーシングスクール・モト 現HRS鈴鹿MOTO)に入学。SRSの年間カリキュラムを修了し、翌年に上級コース「アドバンス」にステップアップする予定が、グンはこのセレクションをパスできず、翌シーズンはSRS-MOTOを離れてロードレースにステップアップすることになる。
ちょうどこの頃に徳留の指導を受け始め、九州選手権や鈴鹿選手権で頭角をあらわすことになる。小学6年生の中でもひときわ小柄なグンだったが、NSF250Rに乗り始め、年末の鈴鹿NGK杯で優勝。SRS-MOTOの同期生である、現在Moto3世界選手権ライダーである、幼いころからいつも一緒に遊んでいたという1歳上の古里太陽よりも先に掴んだNGK杯の優勝だった。
「18年末にNGK杯で勝ってから、19年はアジア選手権に参戦しました。知り合いを通じて紹介してもらったチームでアンダーボーンクラス(=UB150)を走っていたら、現地のスズキトップチームから声がかかって、タイ選手権にも出場しました。その頃は、とにかく走って走って、また走って。ポケバイもミニバイクもアンダーボーンも、NSF250Rも走らせました。とにかく走り込まないと強くなれないぞ、セッティングなんて二の次だぞ、って走り込ませました。そうすれば違うマシンに乗ってもすぐに限界がわかる、実戦的な走りができると思ったんです」(淳一さん)
次のステップはIATC(=イデミツ・アジア・タレント・カップ)。IATCのオーディションでは、選考レースで転倒するシーンがあったが、走りを評価されて20年シーズンの正ライダーに合格。審査員であり、育成コーチであるアルベルト・プーチや中本修平さんが着目したのは、グンが走り始めからすぐにトップタイムを出すという実戦的能力の高さだったと言う。これこそが、淳一さんが狙った走り込みの成果だ。
この能力には、コーチの徳留も太鼓判を押す。
「つきっきりというわけではなく、グンが鈴鹿に来たときなんかに走りを見てアドバイスしていたんですが、グンは順応性が高いです。初めてのコースでもすぐに攻略してくるし、初乗りのマシンでも、3~4周でベストタイムを出してくるんです。選手権でも、久しぶりのコースでも、すぐにポンとベストタイムを更新してくる。これはグンの能力だし、グランプリに行ったらいちばん重要視される能力です。GPで『コースに慣れてなくて』とか、『まだセッティングが決まらない』なんてライダー、いませんでしたからね」(徳留)
しかし20年は、アジアを中心に新型コロナウィルスの感染拡大が始まった年で、IATCは1戦を行っただけでシリーズを中止。21年にも引き続き参戦したグンはランキング3位を獲得、22年も4戦7レースを終わってランキング3番手につけている。最高位は2位、優勝は、まだない。
IATCと同じく20年から全日本選手権にも参戦を始めたが、初年度は最高位7位でランキング8位、21年は最高位4位のランキング10位、そして22年は4戦を終わって4位を3回、暫定ランキングも4番手につけている。ここでも優勝は、まだない。
しかし、全日本ロードレース3年目の22年は、明らかに走りが1ランク上がっていて、同クラスを走る、師匠である徳留の前を走るシーンも増えた。
その徳留は「グンは体重が軽いだけですよ」と笑うが、門下生の成長を肌で感じているだろう。
「グンも少しずつ良くはなって来てるし、いい体制で走らせたら、もっと上に行くと思いますよ。けれど、1歳上の(古里)太陽は、チャンスをつかんで今やMoto3ライダー。SRSのアドバンスに上がれた太陽、上がれなかったグンと、差はつきました。本人が太陽兄ちゃんには負けない、って言ったって、そろそろ誰もがびっくりするような成績を出さなきゃ。いまグンはその瀬戸際に来ていると思います。本当に、僕が初めて見たときの『稲妻が走ったような』存在なのか、並みのライダーなのか。太陽はGPで、グンは全日本で。でも、僕は全日本でも得るものは大きいと思って、全日本を走るように勧めましたからね」(徳留)
今が瀬戸際とは、淳一さんも感じているところだ。
「ここまで順調というより、目指すところに少しだけ届いていないかな、って感じです。もう少し行けるだろ、ってグンを見てくれているみんなが思っている。IATCでも惜しいところでまだ優勝できていないし、MotoGPと同時開催だった日本大会でも、優勝を狙える位置にいながら転んじゃった。そういうところです。全日本でも、もっといい体制で、って言ってくれる方は多いんですが、みんな同じ条件で走ってるIATCで優勝してないんだから。まずはIATCの優勝! それを22年中に達成したい」(淳一さん)
その思いはグンにも通じている。
「やっぱり、まだ全日本で表彰台に上がっていないし、IATCで優勝もしてない。この1~2年、足踏みしてるな、って自分でも思います。でも去年の暮れに、チームアジアの太陽君とか小椋さんの走り込みの合宿が熊本のHSR九州であって、その手伝いに行った時に、ずっと走りを見ていたんですが、そこにヒントがあったし、自分でも走り込んで『あ、この感じだ』って掴めたこともあったんです。それで、今年からトレーニングの仕方もかえて、少し前の方を走れるようになってきた。今は結果を出したいです」
夢はもちろんグランプリ、まだ日本人の誰も成し遂げていない「Moto3ワールドチャンピオン」になりたい。
峠の走り屋からワールドグランプリまで駆け上がったコマグンにはまだ敵わないかもしれないけど、ミエグンは今、夢に向かって第一歩、いや半歩だけ踏み出そうとしている。
彌榮 郡 みえ・ぐん 2006年4月 鹿児島県鹿屋市出身
4歳からポケバイを始め、ミニバイクからロードレースへ。
10歳でポケバイ日本一、11歳でミニバイク全国大会で優勝し、12歳でNGK杯を制し、2020年からIATC(=イデミツ・アジア・タレント・カップ)へ参戦しながら、全日本選手権出場もスタート。タレントカップ最上位は2位、全日本の最上位は4位! 162cm/51kg