道の駅 飯高駅(三重県 松阪市)での話
「若い僕にはバイクがあった」
定時を過ぎると、僕は誰にも気づかれないようにタイムカードを押して、逃げるように会社を後にした。今週中に終わらせなければならない仕事が残っていた。明日の土曜日は休日だけど、自分は出勤しなければならないと思うほどの仕事量だった。
自宅のアパートに戻ると、リュックひとつ背負って駐輪場へ向かった。納車してから、まだ思うように乗ってやれていない大型バイクに跨ると、エンジンに火を入れ一路西へ向かった。
東京の喧騒が、ゆっくりと遠ざかっていく。
何も、考えたくない。
誰とも、話したくない。
安堵を感じつつも不安の入り混じる心境のなか、僕は色々なことを放り投げて走っていた。
このまま会社を辞めることになっても、いいや…。
誰も僕のことを知らない場所へ、向かっていた。
東名高速道路の浜名湖サービスエリアでトイレに立ち寄った。用を済ませ、自販機で買った缶コーヒーを片手に携帯を見ると課長からの着信があることに気づいた。たぶん「あれは終わったのか」と聞いてくるのだろう。
主任という肩書きではあるが、20代の役職付きは自分だけだった。担当している日常業務に加え、部署内の必要な資材の発注、製品クレーム処理、新人の教育、派遣・アルバイトの管理から、悩み相談、掃除の分担決めもやる。最近では部署の範囲を超えて、全体を見る業務も加わりはじめていた。
僕は携帯電話の電源を切った。ふうっ、と大きく息を吐いた。
時間は20時を過ぎていた。このまま走り続けて名古屋の辺りでビジネスホテルに泊まるつもりだった。
気づいたら寝ていた。シャワーも浴びないままベッドに横になり、そのまま寝入ってしまったのだろう。チェックインしたのが22時くらいだったから、9時間は熟睡した。今週は睡眠時間も少なかったし疲れていたとは思うが、しかしながら、こんな状況で熟睡できるなんて我ながら大した奴だと思った。
土曜日の今日は、三重県でバイクミーティングイベントがあると知った。スマートフォンでSNSを眺めていたらそんな情報を見つけた。「ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング」が、松阪市の「道の駅 飯高駅」で開催される。
と、携帯電話が鳴り出した。課長からだった。時間は午前8時すこし前。自宅からだろうか…。
出ることにした。
電話の向こうにいる課長の口から出てきた言葉は予想と違った。「仕事を終わらせないまま黙って帰るなんて、今までそんなこと無かったから心配していた」と穏やかな口調で言った。そして「仕事は俺が終わらせた」と。「だからこの土日は、安心してゆっくり休め」とも。
電話の奥から聞き覚えのあるチャイムが聞こえてきた。会社のチャイムの音だ。時間はちょうど8時を指していた。
梅雨入り前の気持ちよく晴れ渡った土曜日の朝。強い日差しの照りつける「道の駅 飯高駅」には、たくさんバイクが集まっていた。クシタニスタッフの淹れるコーヒーを片手に、ライダーたちがイキイキと楽しそうにしていた。
僕は会場のすみにいた。愛車のそばの縁石に腰をかけてクシタニのホットコーヒーを飲んでいた。
初めて訪れる場所だった。三重県は新名神高速の通る鈴鹿や亀山あたりまでで、松阪も伊勢も鳥羽も志摩も訪れたことがなかった。僕は三重県をほとんど知らない。縁もゆかりも、来たこともない土地だから、自分のことを知る人だって、もちろんいない。

何も考えたくない。誰とも話したくない。それを望んで、ここまで来たはずだった。
「東京からですか?」
突然、声をかけられた。顔を上げると女性が一人こちらを覗き込んでいた。
「私もモンスターです」
僕のドゥカティの隣に、いつの間にか色違いのモンスター696が並んでいた。赤と黒、2台とも八王子ナンバーだ。
「おーい」
向こうから、もう一人女性がバイクを押して近づいてくる。あれは白いモンスター696だ。
「3色並んだ〜!」
二人は楽しそうにはしゃいで写真を撮っていた。
「お友達ですか?」
僕は最初の女性に聞いた。
「いえ。今、初めて会ったんですけどねー!」
「ねー!」
二人がまた笑い合っている。見ると白い方のドゥカは京都ナンバーだ。初対面同士の三人で、自然と会話が始まった。黒いドゥカの彼女は東京の出版社で働いていて僕と同じ28歳。一方、白いドゥカの彼女は21歳の大学生だという。
黒の彼女はバイク雑誌の編集部員で取材も兼ねてここに来たという。白の彼女は実家が熊本県で、今は一人暮らしをして京都の大学に通っているという。家族全員がバイクに乗る環境で育ち、先月、阿蘇の瀬の本レストハウスで開催された「ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング」に父親らが参加したという。「父に、楽しかったからお前も飯高まで行って来いと言われて…」と笑いながら話していた。
いろんな人がいるのだな、と実感を伴って思っていた。バイク雑誌編集部員の女性に、大型バイクに乗る京都の女子大生…。普段、自分が関わることのない人がたくさんいる。自分の中の世界なんて、まだまだ小さい。
同時に大嫌いだった課長のことも思い出していた。「仕事は終わらせた」と言っていた。僕の残した仕事は2、3時間程度の残業では、とてもやりきれないはずだった。徹夜したのかもしれない。そんな人間だとは、ちっとも思っていなかった。いつも近くにいる上司のことすら、よくわかっていなかった。
20代の僕は、何も知らなかったし、何もわかっていなかった。若気の至りとはいえ今となっては申し訳なかったな、と思う。こんな部下を持った課長の気苦労も、今なら少しわかる。
あれから10年経った。
今年も来た。ここは、三重県松阪市「道の駅 飯高駅」だ。
毎年、開催年には必ず「ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング 道の駅 飯高駅」に来ている。他の会場も都合のつく限り行っている。あのとき飯高駅で知り合った黒いモンスターの彼女とはその後も付き合いが続き、半年後に結婚することができた。このコーヒーブレイクミーティングは僕たちの仲人のような場所なのだ。だからいつも二人で参加している。
僕は今も、あの会社で働いている。
働かせてもらっている。
まわりの人たちに感謝している。
バイクと出会えたことに、感謝している。
おわり
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